【各地のムーブメント】病身の高齢者に立ち退きを要求する神戸市

阪神大震災被災者の借上げ住宅追い出しに抗議

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 福島原発事故を逃れて避難した人々が立ち退き訴訟の被告になっている。阪神淡路大震災被災者に対する神戸市の弱いものいじめが、追い出しに通じている。

 阪神淡路大震災はまだ終わっていない。高齢者、病人、貧困者、障害者など社会的に弱い立場の人たちはまだ苦しんでいる。それを助けるのが行政の役割だ。

 あのとき行政は復興住宅に家を失った被災者を収用しようとしたが、被災者が多すぎて間に合わなかった。そこで考え出したのが「借り上げ住宅」。行政がUR(都市再生機構)や民間家主から住宅を賃貸して、被災者に提供するやり方。基本的には「復興住宅」と同じ扱いになるべき性質のものであるが、行政は家主と「20年間」と契約を結んでいた。一般の住宅賃貸と同じく、当時は行政も、期限がきたら契約更新を考えていると説明していた。

 Nさんもそういう被災者の一人。ところが神戸市は彼女に20年期限を理由に立ち退き訴訟をかけた。そして裁判所は、彼女の言い分や行政の約束などを一切取り上げないで、期限があるのだから出て行けと短い裁判で素っ気なく言い渡した。

 このことは地元メディアでも報道されたが、Nさんの事情についてはあまり知られていないので、ここに彼女の言い分を紹介する。

【Nさんのお話】一体私はどこへ行けばいいのか!

──私は、2000年春頃に歩行困難となり、通院治療をしていました。足腰がよわくなった私が、エレベーター付きの段差のない住宅と、市の職員に紹介され今の住宅に住むようにしたのは65歳の頃です。

 神戸市の職員が、79歳の私が追い出されるだろうと思って紹介したとは思えません。神戸市の人も、ここが私の『終の棲家』になると思って紹介してくれたのだと思いたいです。

 私は、その際に、借上げ期間というものがあるという説明を聞いた覚えがないのです。入居の手続きの時にも、50歳代の女性職員の方に「当選するなんてすごいですね」と言われたのを覚えています。

 11年10月には、私は足が弱り、杖がないと外出できない状態になりました。5年くらい前から、歩行器がないと移動することができません。13年5月には、腰部圧迫骨折で入院し、要介護3の認定を受け、入院中に肺炎にかかりました。同じ年の10月の、退院後も腰の痛みは消えず、現在まで歩行器を使って移動しています。肺炎の肺の影も消えていません。

 私は、14年6月まで「要介護3」の認定でしたが、16年1月には「要支援1」に変更されました。

 16年2月には、嘔吐・下血で入院、胃潰瘍が血管を圧迫していると診断され、同じ年の3月まで入院していました。5月には、胃潰瘍からガンが発見され、6月に再度入院しました。17年6月には自宅内でバランスを崩して、歩行器ごと転倒し、右膝を骨折し、「要介護1」の認定を受けています。次に転倒したら終わりだと自分に言い聞かせ、毎日注意して生活しています。

 今、お話ししたようなことを神戸市や裁判官はみてくれません。このような私が、どうして他の場所で生活できるのでしょうか。私のことを何も分かってくれません。先日、私は、裁判所から『この部屋を出て行ってくれ』と言われたとのことですが、一体、私はどこへ行けばいいのでしょうか。みなさま、私は、本当にここでしか生活できないのです。自分が元気でいられる場所はこの部屋しかないのです。神戸市や裁判所は、私にこれ以上、生きてはいけないと言っているのでしょうか。

 私は、今回の判決に対して、既に、高等裁判所の審理をすることで手続きをお願いしています。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

 Nさん支援のために高裁向け署名運動が行われています。署名用紙は人民新聞に連絡くだされば送ります。

(編集部・脇浜)

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