【人民新聞弾圧】勾留理由開示請求・本人陳述書 逮捕勾留は不当かつ違法

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12月8日に神戸地裁で行われた勾留理由開示公判でのY編集長の陳述書を急遽公開する。今回の逮捕勾留がいかに不当なものであるかが一目瞭然であるので、ぜひお読みいただきたい。

勾留期限は11日月曜であり、事態は山場を迎えている。起訴をゆるすな!釈放を!

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(編集部)

陳述書

2017年12月8日

神戸地方裁判所 御中

被疑者

 今回の私に対する詐欺の容疑による、逮捕勾留は不当かつ違法です。その理由を以下陳述します。

第1 逮捕勾留は違法であること

 今回の事件は、私が他人に銀行口座を利用させる目的で開設し、キャッシュカードを騙し取ったとされる事件です。しかし、私は新生銀行の口座を、そのような目的で開設したものではありません。今回、私が新生銀行の口座を開設するにあたって、他人に銀行口座を利用させる目的がなかったのですから、詐欺罪は成立しないと言うべきです。逮捕勾留は違法です。

 1 犯罪が成立しないこと

  (1) 私は、私が開設した私名義の口座のためにキャッシュカードの交付を受けました。社会常識に照らし、これが何故犯罪であるのか理解ができません。私にキャッシュカードを騙し取る意思などありませんでした。

 私が開設した新生銀行口座は、当初から現在に至るまで、完全に私の管理下にあります。検察が主張する第三者に利用させる目的で口座を開設したとの容疑は事実に反しています。

 これを証拠立てる一つの事実を提示します。新生銀行口座パワーフレックスは、インターネット取引に重点化した口座であるためネットセキュリティを厳重化しています。暗証番号・パスフレーズは長く設定し、定期的に変更しなければ使えなくなります。

 このパスフレーズなしに他口座への振込・取引履歴の確認・各種届出の変更は不可能であり、このパスフレーズの変更者こそが口座の管理者と断定して差しつかえありません。

  (2) 私は定期的にこのパスフレーズを変更し、残高、取引状況を確認し続けてきました。

 今回のガサイレで押収された新生銀行からの封筒に、そのメモが書かれており、筆跡鑑定すればそれが私のものであることはすぐに証明されます。

 私が同口座の管理者であることは疑う余地がなく、「第三者に利用させる」目的で口座を開設したとの検察の主張は、全く事実に反しています。

 2 逮捕勾留の目的が犯罪捜査にあったとは考えられないこと

  (1) 警察は私の供述以外の客観的証拠の収集を逮捕前に終えています。
 警察の私に対する取調でわかったことの一つは、今回の事件の捜査が少なくとも6月22日以前に始まっていたことです。担当刑事が私に示した「銀行口座の取引状態」を見ると、生田警察署は、私が別に持っている三菱UFJ銀行の口座に対し、6月22日に照会要請をしています。

 つまり、警察・検察は6月22日以前に、実際にはずっと以前に捜査は開始され、周到な調査と準備を行ったうえで、11月21日、総勢数十人の警察官を動員した大規模なガサイレ・逮捕を敢行したのです。

 こうした周到な捜査・分析によって警察・検察は先に述べたパスフレーズ管理の事実も含め、資金移動状況など当該口座の詳細な事実関係については、恐らく私本人よりも正確に把握しています。

  (2) 今回の逮捕勾留は、公安調査のために行われたものとしか考えられません。
 今回の逮捕勾留によって、私から新生銀行の口座開設に至る事実関係を調べるためではなく、「オリオンの会」の実態解明こそが主目的であり、調査の為の逮捕・勾留なのです。

 それが証拠に、警察と検察の取調では、「オリオンの会」の目的・参加メンバー、設立の経過について、くり返し質問しています。今回の逮捕・勾留は、 つまり、私の詐欺事件は口実にすぎず、捜査当局は、当該口座が完全に私の管理下にあることを百も承知でその事実を隠し逮捕状を請求したのです。こうした政治警察的捜査手法がまかり通り、闘歩する社会は、極めて危険と言えます。

 3 勾留の必要性がないこと

 本件は逮捕して勾留しなければならない事件ではありません。 果たして「事件」つまり犯罪と呼ぶことが正しいことか疑問であることは、先に述べたところですが、仮に百歩譲って、何らかの犯罪が成立するとして、 逮捕勾留して調べなければならない必要性があったとは思えません。

 私が預金口座を開設し、レバノンで、その口座から預金が引き出されるようになったのは5年前のことです。またその口座に5年も前からお金を振込んでいたオリオンの会がどういう会であるかは公知の事実です。公安警察が5年間もこれらの事実を見逃していたとは到底考えられません。情報を掴みながら長期間放置していたのは、本件が逮捕勾留して取り調べなければならない程、違法性の高い事件ではなかったからに他なりません。実質的な被害がないのですから刑罰をもって臨む必要性は全くないことを十分に承知していたに相違ありません。

 4  証拠隠滅の可能性がありません。

 被疑事実の核心部分はキャッシュカードであり、出入金記録です。キャッシュカードは、自宅と新聞社のガサイレで発見されていません。仮に私がこのキャッシュカードをどこかに隠し持っていたとして、これを隠滅するでしようか?あり得ません。「第三者が使っていた」ことが犯罪とされているのだから、 私はむしろ「ここにあります」「私が使っています」と提出すれば、私は無罪に近づけるからです。キャッシュカードの隠滅は、自ら有利な証拠を失うことになるのですから、あり得ません。

 もし検察が、キャッシュカードの隠滅を危惧して勾留を求めているとすれば 自己矛盾をおこしています。一方で「第三者が使っている」と主張しながら、一方でそのカードを私が隠し持っている可能性を主張するのは、自己矛盾としかいいようがありません。

 出入金記録については、警察・検察が詳細を調査しつくしており隠滅はあり得ません、正直なところ、私には、何を隠滅するのか?全く見当もつきません。

 5 逃亡の可能性も一切ないこと

 私について、逃亡のおそれを考えることは、笑止千万です。私は、今回の不当な逮捕と全面的に争うつもりですし、人民新聞編集長としての重い責任があります。これまで築いてきた友人・知人関係も含めてこれらを全て、捨て去る選択肢などあり得ません。

 逃亡の可能性はゼロです。

 6 結論

 私には逮捕勾留の根幹をなす詐欺の事実はなく、罪証隠滅のおそれも逃亡のおそれもありません。実質的な被害者のいない本件では逮捕勾留までする必要性は全くありません。

 勾留要件がなく、少なくとも勾留の必要性がない以上、私は速やかに釈放されるべきです。

第2 市民的自由を剥奪される逮捕勾留生活

 今回の逮捕・家宅捜索・勾留・取調を通してわかったこと、感じたことを述べます。

 逮捕勾留生活、それは、例えば、名前でなく番号で呼ばれ、意味不明の細かい規則にしばられる生活です。それが、被留置者の心理にどの様な影響を与えるのか?また留置場という非日常の場での時間の流れのちがいなどを述べ、留置場での生活が如何に非人間的なものであるかを明らかにしたいと思います。

 (1) 私は生田警察署に勾留されて、まず衣服を全て奪われました。身体検査の為ということだったので、いったん全裸となったのですが、私が着ていた服は全て「規則に合わない」という理由で着ることが許されず、留置場が用意した服を着るよう命じられました。抵抗すると数人の看守がとり囲み「保護房」という名の懲罰房に入れられ、暖房もない部屋で薄い検査服1枚で数時間過ごすことを余儀なくされました。

 (2) 弁護士接見の後、勾留生活に入りましたが、ここでは、全員が番号で呼ばれます。看守も含めてです。「346番─昼飯」「346番─取調」といった具合です。自分の持物を衣服も含めてはぎとられ、名前すら奪われる生活は、かなり強いインパクトでした。屈辱感を味わいましたし、これまでの日常とは全く別の空間に放り込まれたという不安感をもちました。

 ところが、これも3〜4日すると慣れてくるのです。根拠も示されない本当に細かな規則を受け入れ、看守の命令に従うという生活態度が、わずか3〜4日で形成されてしまうのです。

 (3)留置場から取調室への移動─これは一つ上層階に階段で上がるだけなのですが、毎回必ず身体検査をされ、手錠をかけられ、腰縄を巻かれます。こうした儀式化した手続きに抵抗感がなくなり、身体検査が終わって次は手錠だと思うと、進んで手を差し出すようになるのです。

 これはいわば主体の喪失です。意味不明のこと細かな規則─例えば、髪をまとめるゴムが自傷行為防止を名目にとりあげられます─でしばられ、命令に従わせ
られる生活が続くと、人間は徐々にロボット化します。理由を問うても応答すらなく、従うか、従わないか?従わない場合は懲罰という選択肢しかないからです。

 人がいかに簡単に自由を放棄して規則や場になじんでいくのかを実感することができましたし、自由を規制するむき出しの国家権力の一端をかい間見た気がしました。

 (4)この他にも「時間の流れは一定でない」こともわかりました。勾留直後は、パソコンは無論、本も新聞もなく、筆記具もありません。持物をすべて奪われ、独房に放り込まれると、できることが全くありません。前日までの忙しい生活が一転、急に時間の流れがゆっくりになりました。乗っていた電車に急ブレーキがかかって前につんのめっているような感じです。

 まず、「何もしない時間への不安」が湧いてきました。「ここでできることはない」ことは頭でわかっているのに、何もしていない自分を受け入れられないのです。 しかしこれは、皮肉なことに、むしろ正常化の過程だったような気がします。

 というのは、現代日本の時間の流れは速すぎます。留置生活は畳3畳、無垢のフローリング2畳にトイレ付のシングルームで営まれています。
 
 朝7時の起床後、1時間半と夜9時の消燈前1時間半は、本も筆記用具も回収されるのでみっちり筋トレと有酸素運動を行います。日中は取調以外はフリータイムなので、しっかり読書ができますし、消燈が9時なのでその後1〜2時間は、ゆっくりと考えごとができます。

 時間の流れ・使い方としては理想的とも言えます。留置場という非日常を経験することによって、時間の流れが速すぎる忙しい日常を反省的に捉え返すこともできました。

 この他にも接見禁止によって外界との遮断がもたらす心理的影響や、黙秘が留置場では好意以上の敬意をもって受け入れられていることも知ることができました。(私の他に2ケ月黙秘を続ける被収容者がいました)

 この様に私は留置場という非日常のなかで、多くの発見・気づきがあり、その中には、思わず社会での日常生活で反省すべきことのあることを発見することができましたが、そうだからといって、逮捕・勾留の不当性が帳消しにならないことは言うまでもありません。

 (5)また、11月21日に逮捕されて、2週間以上年末繁忙期の貴重な時間を留置場で過ごさねばならず、編集部員、協力者、そして多くの友人たちに、心配と苦労をかけ続けています。

 私は警察・検察の捜査に協力する気は全くありません。これまでどおり、正当な権利として認められている黙秘権を行使し続けます。つまり勾留による捜査の進展は絶対にあり得ません。

 (6)逮捕されて以降、お酒は私の体に一満も入っておらず、過酷な労働を強いられていた私の肝臓は、充分な休養を得て、職場に復帰する準備は万全となっています。

 規則正しい生活・シンプルな食事、毎日2時間の筋トレと有酸素運動に加えて、じっくり考える時間も持てて、人民新聞の新しい企画も次々と湧いています。

第3  総括

 そもそも、今回の事件における被害者は誰なのでしようか?

 奥井検事は私に「被害者は銀行、被害品はキャッシュカード」と告げました。

 しかし、当該の銀行は、私の口座を開設しキャッシュカードを発行したがゆえに、銀行業務として様々な手数料収入を得ており、実質的被害はどこにもありません。被害金額はゼロないし、せいぜい数百円でしよう。

 私の事件は実質的な被害者がいない「詐欺」です。

 「キャッシュカードの詐欺」を刑罰で罰する必要があるのは、主に「オレオレ詐欺」のような他人の財産を騙し取る手段に利用されているからだと聞いています。私の件は、これとは全く無関係であり、そのような詐欺と同列に置いて処罰するのは、法の目的、趣旨を逸脱するのではないでしようか?

 逮捕そのものが不当であり、勾留を続ける合理的な理由はどこにもありません。1日も早く放免すべきです。

以上

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