時評短評私の直言 傷をえぐられるような運動内の性暴力事件

問題化を困難にする運動の大義名分 誰もが我が身の問題と考えられるか?

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じゃこおろし

菅野完、添田充啓氏による性暴力事件

 自分が過去に受けた傷を再度えぐられる感覚になるような情報にいくつか触れ、感情が不安定になる。もう「乗り越えた」気になっていても、当時の出来事がフラッシュバックすることがある。以下の事件を偶然SNS上で見かけた時もそうだった。
 今月初旬、「元男組代表 添田充啓(高橋直輝)による痴漢被害」というタイトルで、添田氏から痴漢被害にあった被害者からの告発文書がネット上に公開された。添田氏は、反レイシズムの運動内でも著名な人物であり、最近では辺野古の基地反対運動における不当逮捕で、山城博治氏とともに長期拘束されていた一人でもある。
 その添田氏が、反差別について学ぶワークショップ終了後の飲みの席で、当時初対面だった被害者の容姿について執拗にコメントし、目の前でバイアグラを飲みホテルに誘い、被害者の意に反し身体(胸)を直接触ったという。
 告発文によれば、添田氏も事実を認め、被害者が要求した謝罪文作成にも同意していたということだ。被害者は事件を告発できるまでに3年の月日を要した。「社会運動に否定的な立場の人たちを利することになりかねない」との懸念からだった。
 もう一件、運動内の性暴力事件でいえば、著書の「日本会議の研究」がベストセラーとなり、また森友問題で大手メディアにも登場する機会の増えた菅野完氏によるものがある。被害者の女性は、新聞に意見広告を出す運動で菅野氏に出会った。初対面の日、菅野氏が「今日一日ずっと尾行されている」などといって言葉巧みに女性宅を訪れた際、彼は「眠たい、セックスしたい」と言い、被害者をベッドに押し倒し、悲鳴を上げる被害者に対し強引に顔を押し付けてキスを迫り、性行為を要求した(事実関係について菅野氏は争っていない)。
 女性は菅野氏に対し損害請求訴訟を提訴、事件を審理した東京地裁は菅野氏に対し110万円の損害賠償を命じた。被害者は事件後も菅野氏に似た人物を見ると呼吸が苦しくなり、冷や汗が止まらなくなるなどの症状が続いており、現在もカウンセリングに通っているという。

権力関係を利用した性暴力

 運動内の性暴力事件は、恐らく今に始まったことではないのであろう。アウティング公表の許可がないため詳述できないが、他にもさまざまな性暴力事件について耳にしているし、私自身も被害者になったことがある。
 つい数カ月前は、運動関係ではないものの、継続的に付き合う必要のある人物から不本意な性的接触を受けた。直後は頭が混乱していた。後に頭の中で当日から、さらに加害者と接した日々全ての自分の行動に関する点検が始まった。自分に非がないかを確認したかった。
 もちろん、本来なら、被害者が責められる理由は100%ない。しかし、ジェンダー関係にセンシティブなつもりでいても、いざ自分が被害者になると、自分を責める「世間」の目に取りつかれるのだと再確認した。
 これが運動関係者であればなおのこと、告発するには何重もの心的・外的ハードルを要する。その運動が何らかの社会問題に取り組むという大義名分を有し、自らその目的に賛同して運動に関わった場合、事件を告発することは非常に勇気のいることになる。
 また、例え事件を告発しても、「ハニートラップ」や「その程度で大袈裟に・・・」といった具合に、二次被害に遭うことも多々ある。事件後も加害者がその政治的立場や発言力の故に運動側から重宝がられることも、被害者にとっては精神的に蝕まれる要因となる。
 今一度確認したい。ほとんどの性暴力は、権力関係(ジェンダーも権力関係であるのは言わずもがな)を土壌にして生じる。権力関係は、Noと言いづらい状況を形成し、権力を有する側はそれ自体を(暗にでも)理解した上で、権力を利用する。「逸脱者」によって偶然に、唐突に、事件が起こるわけではないのである。
 この社会を構成する一人として、私も含め、それぞれが「我が身のこと」として、性暴力、そして権力関係について考えなければならない。当然ながら、運動も含め、例外はない。                

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