なぜ労働組合は衰退したか 今こそ職種別産業別組合を

8・26「木下武男・熊沢誠 熱き思いを語る」より講演要旨

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「大阪労働学校アソシエ」講座開講に当たって

組織率と争議の激減、春闘の崩壊新たな労働者支配への対抗を

 8月26日、大阪労働学校アソシエで、木下武男氏(労働社会学者)、熊沢誠氏(経済学者)の講演会が開催された。連続講座「労働運動の歴史に学ぶ」開催に際して、講師のお2人と「関西生コン」武建一執行委員長が労働運動の歴史と未来を話すものだ。   貧困と労働環境が際限なく悪化するなか、7月に「連合」執行部が政府の「残業代ゼロ法案」を条件付きで容認する姿勢を示した。内外からの批判で撤回したが、安倍政権は、秋の臨時国会で法案の一括審議・採決を狙っており、日本の労働組合の存在意義があらためて問われている。
 講演会は「協賛」に「全港湾」や管理職ユニオン、おおさかユニオンネットワークなど多くの労組が入り、呼びかけ人に福島みずほ参議院議員や木村真豊中市議も顔を揃え、労働運動の再生の意義が込められていた。

貧困の克服はユニオニズムのみ

 まず、木下武男氏が「業種別職種別ユニオン運動の課題と基盤」をテーマに講演した。
 「日本の労組は世界でも例を見ない『企業別』で作られてきた。だが、『業種別職種別ユニオン』を急いで作らなければ、最悪な状況にある日本の貧困には対応できない。『業種別職種別ユニオン』とは、(1)業種を軸に労働者が結集し、(2)職種別賃金をめざし、(3)業界を相手に団体交渉を行って労働協約を確定するもの。
 日本の民間労働運動は、1975年以降、組織率や争議数が激減した。官公労は80年代半ば、公務員組合も2000年代から後退した。今や衰退の淵にある。それは、既存の労組が大幅賃上げ路線と企業別組合を墨守したことと、未組織の労働者を組織化する戦略を持たなかったことにある。
 これまでの春闘は、労組の力と労働力の不足を前提としていた。だが労組は低迷し、98年頃から労働力不足もなくなったため、企業は賃金を上げなくなり、春闘は崩壊した。
 2000年~13年の間にG7各国の賃金は上がり続けたが、日本だけ下がっている。各国は全て産業別組合と職種別の賃金制度を持っているが、日本には未だにそれがないからだ。非正規雇用が増大し、賃金が属人化し、『同一労働・同一賃金』が実現しない。また、最低賃金制によって、逆に賃金が抑制されている。
 この間、日本の労働者支配は、年功序列と終身雇用制から、(1)成果主義人事制度と常時リストラ、(2)非正規雇用の拡大、(3)使い捨て正社員(ハード・ワーキングプア)へと移行した。個人ごとに賃金などを固定化される『属人的処遇』は何ら変わっていない。それが貧困と過酷な労働を生んでいる。
 業種別職種別のユニオンを作り、その力で新旧の日本型雇用システムを止め、福祉国家型社会政策へ転化させることが最大の課題だ。それは、(1)職種別賃金の実現、(2)職歴により昇級する職種別賃金、その2つの結合だ。
 主体的な条件は出てきている。まず06年からのフリーター労働運動と、第一次反貧困運動だ。だが、イベント主義的傾向や、これらが生み出した民主党政権が自壊したことなどもあり、低迷した。
 しかし、今は『第二次反貧困運動』が始まった。貧困の克服はユニオニズムしかないという歴史の王道だ。エステユニオン、アルバイトユニオンなど、業種・職種別労組を若者たちが結成し始めたことだ。関西生コンもその先駆けだ。私たちの研究会で、理論面から後押しをしていきたい」

貧困と企業別組合を超えるさまざまな労組のかたちを

 次に、熊沢誠氏の講演。同氏は「連合」批判から始めた。
 「残業代ゼロ法案の条件付き容認は、沈みゆく安倍政権のもとでも、労働運動はあらゆる悪政に何も抗えないという、ダンゴムシのように臆病な諦めから来ている。
 連合が出した『条件』(1)年104日の休日取得は、年間の土日の日数に過ぎない。(2)労働時間の上限設定は、今の財界に期待できるわけがない。(3)勤務間インターバル制度は、せいぜい認められるのは9時間で、零時まで働いても翌日は9時出勤だ。(4)2週間連続の休日取得だが、成果を求められるサラリーマン自身が戸惑うだろう。(5)臨時健康診断も、誰が誰に必要だと判断するのか。それに、能力・成果を求められる労働者自身が、診断結果を恐れて『大丈夫です』と忌避するだろう。
 こうした連合は、今や自民党支持になってもおかしくない。ストライキも皆無だ。結局、〝熱い思い〟を語りたいが、何も信頼できない状態では元気も出ない」と語った。
 そして、これを変えるために次のように提言した。
 「格差社会の進行はなぜ悪いのか。それは、(1)まともな生活のできる稼ぎができず、(2)その状況を変える方途を見失い、(3)よって個人として頑張ってより上の立場に脱出すべきという思いに日々さいなまれるからだ。労働運動の意義は、これら3点を克服することにある。
 75年以降、労組の組織率低下に伴い、労働者間の競争と選別を肯定する思考が職場に定着した。それにより、個々の労働条件の厳しさや、処遇の明暗は、個人の責任とされる。労組は個々の労働者の受難の解決から撤退していき、今や労働者・世論からの期待もない。80年代以降の新自由主義経済・グローバリズムが拍車をかけたため、今や、(1)ワーキングプアの累積、(2)賃金の停滞、(3)長時間労働が、固定化した。頑張っても頑張っても生活と精神が疲弊する状態だ。
 だが、職場や仕事の問題が共有されれば、しんどさは半分になる。労働者間の競争を制限することが最重要だ。それは、一般的な階級意識を鼓舞することではなく、それぞれが属する職場のグループ=労組こそが可能にする。その力で同一労働・同一賃金を実現しよう。企業別組合の唯一性を疑い、具体的には新たに以下の5形態の労組を作ることが解決策だ。
 (1)大企業の総合職的ホワイトカラー:ワークライフバランスを前提として、労使協議を通じた経営参加機能を作る。
 (2)大・中企業のノンエリート正社員&常用型非正社員が主体の産業別組合(職場支部)。
 (3)業界全体を包括する、業種別・職種別単一組合(全港湾や関西生コンなど、広範囲に適用できる)。
 (4)専門職・技能労働者・雇われない働き方をする人など、産業や企業の枠を超えた「クラフトユニオン」。
 (5)産業・職種・働き方に関わりなく、一人でも誰でも入れる一般組合。活動拠点を地域に置きつつ、生活相談なども行っていく。
 これらの連携で、状況を変えていこう」。
 後半、武委員長も加わったパネルディスカッションでは、(1)75年に続き1982年も労働運動の転機だった。(2)79年から英米日で続々と新自由主義政権が成立。82年に公労協が戦後初の「スト無し春闘」となり、「闘争でなく経済の流れで賃金が決まる」という意識が広まった。(3)関西生コンの下請けによる元請けの責任追及行動を、日経連がやめさせようと攻撃してきた、と振り返った。
 そして、「企業の枠を超えた争議をしよう」などと、活発に提案がなされた。集会スタッフには若者も多く、労働学校の充実がうかがえた。講座は10月から開講する。申込みは「大阪労働学校・アソシエ」06―6583―5555から。(編集部・園)

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