地域産業と結びつかない原発ではなく地方分権、農林業重視、住民参加を

7・16京都「なぜ、原発で若狭の振興は失敗したのか」集会

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 7月16日、キャンパスプラザ京都で、さよなら原発福井ネットワーク代表・山崎隆敏氏の講演会「なぜ原発で若狭の振興は失敗したのか」が行われた。コメンテーターに中嶌哲演氏も迎えた。山崎氏は「地方が自治権をもち、大企業ではなく自らの力で雇用をつくり、地域の特性を活かした町おこしで原発依存から脱却できる」と脱原発への展望を語った。参加者は約100名。シンポジウム「原発のないまち創り」実行委員会主催。当初コメンテーターとして登壇予定だった八木健彦氏は、都合により原稿での意見表明となった。まず、山崎さんの発言をお伝えする。(編集部)
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 原発による若狭の振興政策は失敗でした。まず、以下の3点について確認したいと思います。(1)原子力(核燃料)政策の破綻は推進派(国や事業者)が自ら招いた結果である。(2)原発による地域振興策は失敗だった。(3)警鐘は常に鳴っていた。この事実をしっかり認識し忘れず、同じような過ちを繰り返させないことが重要です。
 2010年、福井県立大学経済学部の報告書「原発と地域経済の将来展望に関する研究」では、「原発との共生による地元産業の振興、雇用機会の拡大の面ではなお課題が残されている。関電の利益は大部分が福井県外に流出するので、原発の福井県経済に対する直接的なメリットは、見かけの大きさほどは大きくない」とまとめています。
 恒久的な地域振興ができていないという事情は、20年前と変わっていません。製造品出荷額、観光客数ともに、原発を受け入れた嶺南は嶺北に比べ伸び悩んでいるのです。自民党の山本県議の「嶺南発展のためにと15基もの原発を受け入れたが、住民の所得増大には結びつかなかった。立地市町の財政も膨らみすぎだ」との質疑に対し、中川知事は、「過疎から抜け出すため受け入れたが、期待したようにはいかなかった」と、原発が地域に役立たなかったことを認めました。

94年に福井県も「効果なし」と総括

 また「原子力地域振興の概要」(美浜町1990年)では、交付金の効果は一過性であると、以下のように嘆いています。
 「原子力発電所は、その特殊性のため、地域産業との結びつきが弱いこと、また、交付金事業の終了、固定資産償却に伴う税収の減少が予想されることから、効果は一過性のものである。原子力発電所の立地は、立地地域の恒久的・総合的・広域的振興には結びついていないので、これらを踏まえた『電源地域振興特別措置法』の制定や、官民が一体となった恒久的地域振興への施策を、積極的に展開していく必要がある」。
 ここで言う「恒久的地域振興の施策」とは、脱原発を目指すことでしか生まれてこないと思います。
 94年に福井県は『15基体制の総括』を発表し、「原発で地域振興の効果はなかった」と総括しながら、「もんじゅ」再開と敦賀3・4増設を「取引材料」として、国や電力から一時しのぎの金を引き出そうとしたのです。福井県が安全協定を締結する際の条件に、「原子力の三原則」があります。(1)安全の確保、(2)地域住民の理解と同意、(3)立地地域の恒久的福祉(地域振興)。どれも満たされていません。

固定資産税入るが地方交付税は減額

 原発誘致により、固定資産税は入りましたが、その75%に相当する地方交付税が減らされました。1971年6月30日、読売新聞が以下のように言及しています。
 「原電建設で地元にプラスしたのは、未開発だった敦賀半島が開発され、原電道路ができたのと、工事建設で一部地元土建業者が潤った程度。完成すると、固定資産税として数億円が地元市町にころがりこむが、かわりに地方交付税がバッサリ切られ、収入は差し引き数千万円しか見込めない」。この点も県や市町を、思惑外れとがっかりさせ、改めて県の姿勢や原電の価値が問題になり出しました。
 原発の無い徳島県と比較します。福井の県税収入907億円のうち118億円は、電力会社からの法人県民税・法人事業税・核燃料税で、国庫支出金715億円のうち90億円は、県が受け取った電源三法交付金です。徳島県より118+90=208億円多く入っています。しかし、地方交付税交付金が219億円少ないため、徳島県より2億円多いだけにとどまるのです。
 「脱原発側は、『原発を選ばずとも地域が過疎化から脱し豊かな生活ができる方策』を提案できていない。原発なしの未来を考えるには、過疎の問題を解決できる代案が必要」と、武田徹氏は投げかけています。
 そこで、私たちは以下の通り提起します。(1)地方分権改革を推進する、(2)農林業重視に産業政策を大転換する、(3)政策決定過程への住民参加を促し、住民自治を強化する。

もう大企業には頼らない自立へ動き始めた企業城下町

 長引く円高に苦しむ日本の製造業。工場閉鎖の波は、かつて「企業城下町」と呼ばれた地域にも押し寄せています。諸手を挙げて大規模工場の立地を歓迎したのも今は昔。ひとたび経済の柱を失った地域は、深刻な雇用情勢の悪化にさらされているのです。
 課題は、行き過ぎた大企業依存の解消。全国各地の企業城下町で、地域経済の自立に向けた挑戦が始まっています。地域の命運を特定の企業に委ねるのではなく、自らの力で切り開こうとする動きが全国の企業城下町にもひろがりつつあるのです。

6次産業での伊方の町おこし

 次にその事例として、伊方の家をたちあげた八木氏は、原稿で6次産業での町おこしについて紹介した。
 「廃校跡のミカン採集期若者宿舎への転用、農業と太陽光発電を両立させるソーラーシェアシステム、農業研修と結び付けた移住促進、自然・歴史・文化に関わる地域資源の再発見と活用といった、多くのことが試みられている。
 従来の家を中心とする部落会議と並んで、全員参加・個人参加の地域団体を立ち上げ、そこで地域づくりを推進することや、ミカン農家で従来の家を軸にした土地と家業の相続から、地域を軸にして新参の移住者への相続といった事例も生み出している。そういう胎動には、都会や他地域・他産業で経験を積んできたUターン者が推進力をなしている場合が多い。
 かつての工業化と大衆消費社会化の波に乗った地域展開から、人口減の低密度社会に合った、ゆったりした相互扶助的社会へ変えること。自然と共生し、多様なものが共生し、食とエネルギーを地産地消し、地域自治を行える循環型社会へ推転していくこと。
 一人ひとりが独自の個性、かけがえのない存在として尊重されつつ、互いのつながり、支えあい、協同関係が保持されていくような地域社会の創造こそ、脱原発への道だ」。

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