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トランプの排外主義・人権抑圧に抗するモラルマーチ

 ノースキャロライナ州立大学教員 植田恵子
(注)William Barber: NAACP(全米黒人地位向上協会) のNC州の会長であり民主化運動のリーダー。2013年にローリーから始まり数州に広がったモラルマンディという民主化運動の主導者でもある。人種差別撤廃運動など平等な社会実現のために大きく貢献している。

 朝4時半。ラジオのニュースで目覚める。ニュースを聞いて、不快感、怒り、耐えがたさで1日が始まる。怒りの臨界に達した私は、2月11日、ノースカロライナ州都・ローリーで行われるモラル・マーチに初参加することにした。
 このデモ行進は、バーバー牧師(William Barber)(注)を中心に2006年に州民の権利や生活を侵す州政府や国の政策(投票権、環境、医療制度、女性の権利、公共教育、移民、労働者の権利、法の下の平等、性差別等)に反対する草の根運動として始まった。11回目を迎えた今年はオバマケア廃案、移民排斥、イスラム教国人の入国禁止など、トランプによって日常を揺るがされた多くの人々が、自分の切実な問題として立ち上がり、推定8万人の参加者が路上を埋めた。
 当日の朝は、ローリー市の中心街に近づくにつれて、どこからこれほどの人が湧いて来るのかと思うほどの人の群れが押し寄せてきた。ビルの谷間をびっしり埋め尽した人々の怒りが、ぞくぞくするほど伝わってきた。どこからともなく始まったシュプレヒコールに太鼓がリズムをとり、高層ビルを抜けて、2月の青空に響き渡る。人々はそれぞれの胸の内にある「これだけは許せない!」という問題を、手書きプラカードやサインに表し、高々と掲げていた。それが見事に的を得ていて、アメリカ人の想像力と機知に感服させられた。怒りすらもウイットに変えてしまう気持ちの余裕がにくい。
知らない人同士がお互いのプラカードを見て、「どういう意味?」「自分で作ったの?」「写真撮ってもいい?」と笑顔で話しかけ、会話が始まる。大声をあげて隣を歩いている知らない人が、知らない人でなくなる瞬間だ。そこにあるのは、人種、性別、年齢、さまざまな違いを超え、共通の問題を憂う人々の姿であり、人々の抵抗のエネルギーがずんずん私の体に伝わってくる。
 LGBTの虹色の旗を振る人がいる、白衣を着た医療関係者や医学生の群れが、オバマケア廃止案で医療を受けられなくなる低所得者を憂いている。車椅子の人あり、最低賃金引き上げを叫ぶマクドナルド従業員ありで、ニュースで見知っているはずのさまざまな問題が、現実であることを思い知らされた。
 長いデモの最後は、州議事堂前での集会となり、各市民団体・個人のアピールが続き、最後はバーバー牧師の白熱のスピーチで締めくくられた。スピーチの中の「トランプを産んだのはオバマだ。この国には黒人がホワイトハウスに居座ることに我慢ならなかった、トランプに傾くような人々がそれだけいたのだ」という言葉が強く残った。これは黒人差別という他人事ではない。戦争時に強制収容所に送られた日系人に連なる日本人として、差別がまかり通る社会には声をあげていかなければならないと思った。

極右州議会の横暴

 今回のデモ行進で、人々はトランプ政権に対してだけではなく、ノースカロライナ極右州議会に対しても抗議の声をあげた。ノースカロライナ州は、昨年、選挙法を改悪したり、HB2(いわゆるトイレット法:同性愛者や性転換者ら性的少数者に出生証明書と同じ性別のトイレを使うよう求める州法)というトランスジェンダーの権利を制限する法律を通過させたりしたことで、一躍有名になった。
 トイレット法は、全米13州で法案が提出されたものの、通過させたのはノースカロライナだけである。この人権問題に抗議してバンカメを始め多くの企業がノースカロライナから手を引き、またBruce Springsteenなどの大物ミュージシャンのコンサートのドタキャンが相次いだ。そして、予定されていたプロ、大学の全米スポーツトーナメントもキャンセルとなり、連邦政府補助金の打ち切りなどと相まって、トイレ法の経済的損失は50億ドルを下らないと言われる。
 また、昨年11月の選挙では民主党知事が勝利し、共和党独裁から抜け出したものの、議会の上下院は依然として共和党の支配下にある。この共和党議会と前共和党知事は、任期切れの直前の置き土産に知事の州幹部スタッフ任命権を制限する法律を通過させた。踏んだり蹴ったりである。
 教師である私は、連日授業をして採点をして、また翌日の授業の準備して…と、仕事や雑事に追われ、くたびれ果てていた。今回そうした日常から抜け出してデモ行進に参加した。一人の演説者の話を聞き、多くの人々の熱気に囲まれながら、自分の心の軸が定まってくるのを感じた。日常生活というのは、私たちの生存権が保障される社会的な基盤があってこそ、成り立つのだと。
 デモ行進に参加した時の身体的な高揚感、自分がコミュニティの一員であるという連帯感は、参加してみなければ味わえない。デモの後は様々な問題の行方が気になるし、自分が行かなかったデモさえも共感がわく。デモなんて無意味だ、選挙に行かなければ政治は変わらないじゃないかと言う人もいる。が、まずはデモに行って社会と関わりを持つ、これが第一歩だろう。一人で行くのは勇気が要る。しかし、プラカードを作り、友達を誘い、子どもの手を引いていけば、これは楽しい社会経験になる。
 今回のデモでは200を超える組織や団体が共感、連携して、人々に呼びかけ、拡散させていった。これも毎年の地道な積み重ねの結果であり、またNGO、NPOを財団や寄付金が経済的にもサポートするアメリカの仕組みのありがたさである。私はNorth Carolina Asian American Together(ノースカロライナアジア系アメリカ人グループ)という団体と一緒にデモに参加した。出発の前にみんなでプラカード作りをしたのだが、中国系、韓国系、フィリピン系、インド系、パキスタン系など多彩な顔触れが集った。大学で教えていても、なかなかこれだけのダイバーシティにはお目にかかれない。いろいろな人と知り合うことで、メディアによるステレオタイプや偏見から解放され、世界が広がる。こんな連帯やグループ作りの基盤が日本でも芽生えるといいのだが。
 もちろんデモに行けない人もいる。大統領就任式の翌日のDCおよび地方都市で行われたウイメンズマーチ(女性の権利を訴えるデモ行進)や、イスラム教国人の入国禁止後、近くの空港に駆けつけデモをした人々のニュースが大きく報道された。「多くの映像からこれらのデモを知って、中東の人々もアメリカ人を見直しているらしい。トランプ支持ではない人々の存在を知ったらしいという話を聞いたよ」とは、NY在住の友人の話。これもデモの効用だろう。
 しかし、このような民主化運動、デモが起こっているのは都市部のみで、保守の多い地方では起こっていない。都市部と地方の格差、人種だけでなく、大卒と高卒および中退者の分断も大きい。今は支持党が違えばデートもできないらしい。わざわざメキシコ国境に壁を築かなくとも、既に私たちの周りには目に見えない壁がいたるところに築かれている。デモに参加して感じたことは、それぞれが痛みを抱えていることだ。向こう岸にいる相手に対しても、その痛みを想像する努力を続けることが共存への道なのではないだろうか。

  

 

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