ぷりずむー1596号

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 なぜ、新左翼運動が環境運動に転換していったのか? なぜ、その潮流がヨーロッパでは、環境政党として政権の一角を担うようになったのか? なぜ、日本ではそれがうまくいかなかったのか? こんな質問をする若者と出会った▼かって同じ志を持った仲間が、次々とこの世を去っていくこの頃。生き残っているもので、次代に継承してもらいたいことを文字にしておきたい、と漠然と思っている。その時代、その場にいたものでしかわからないことは多くある。答えるだけなら何とかなりそうだ。逆になぜ、そんな問題意識が生まれているのかを知りたい、と思い応じてみた▼質問の角度からわかることは、現在、彼らの身の回りで起きていることが、世界中の若者が連動して引き起こした1969年の出来事とつながっているということだ。あの時代の問題意識の発生と政治潮流の形成、そしてその敗北が現在の状況を招き寄せた、という認識が生まれているのだ▼確かに、ゆったりと暮らせる条件は都市からも農村からも失われ続けている。いま、お金に追い詰められないために、どんな生き方が必要か、と自らに問いかけたとき、1960年代の社会運動が見えてくる、という構造だ。「生産者も消費者も自給圏に身をおき持続可能な方法で食べ物を確保していくこと」はひとつの回答だ。それを実現する政治プロセスが1969年の総括と共に求められる。         (I)

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