戦争と覚醒剤

日本人の覚醒剤コンプレックスの源流をたどる

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作家 評論家 鈴木創士

甘利前経産相不正献金問題の煙幕・火消しとしてメディアを独占した清原元選手の覚醒剤逮捕。覚醒剤コンプレックスが強い日本だが、敗戦直後には、疲労回復・意欲高進剤として広く使用されていた。「人間やめますか?」のスローガンは有名だが、戦争と覚醒剤は切っても切れない関係があるという。両者の深ーい関係について書いてもらった。

(編集部)

 タレントや有名人が覚醒剤で逮捕されると、連日マスコミは大騒ぎを繰り返している。他に取りあげるべき重要なニュースは山のようにあるのだから、これはいささか常軌を逸した光景である、と言わざるをえない。
 覚醒剤(メタンフェタミン)は「恐ろしい」クスリではあるが、現在では麻薬に昇格したとはいえ、もともと日本でも諸外国でも向精神薬に分類される薬だった。しかし、覚醒剤の社会への蔓延がすでにして事実であるなら、他にやるべきことはある。日本の政府や行政は中毒患者の本格的治療や社会復帰にはほとんど関心を示さない。実際に中毒患者に手を差し伸べているのは民間のNPOであるし、こんなことは先進国ではあり得ない話である。
 ところで、ドラッグの王様は、すでにギリシア神話に登場する阿片から合成される麻薬ヘロインであるが、覚醒剤への異常反応は、日本でヘロインが蔓延しなかったことによるのか。日本にもヘロインが流行する土壌と条件は諸外国と同じようなものだったのだから、不思議といえば不思議である。俗説ではその筋の大親分がヘロインの密輸入を堅く禁じたからだとも言われているが、定かでないとはいえ、あり得ないことではない。

特攻隊「別れの杯」にも

 ともあれ、日本人の覚醒剤コンプレックスには幾つか理由を考えることができる。どうやら歴史的なトラウマがあるらしいのである。ひとつは、覚醒剤の原料エフェドリンは、もともと明治時代に長井長義博士によって発見され、そこからメタンフェタミンが同じ長井博士によって抽出されたということ。つまり覚醒剤は日本の発明なのである。もうひとつは、覚醒剤が第二次大戦前後の日本帝国軍部と深い関わりがあった、という点だ。
 近代における麻薬と国家の関係は、何も阿片戦争のイギリスに限ったことではない。戦前の日本は、ある時期世界一の阿片生産国であったし、列強はみな中国への阿片系麻薬の輸出を行っていたが、最後にそれを一手に引き受けた感があったのは日本である。しかし、この満州への阿片政策とは別に、軍は覚醒剤を大量生産する。戦闘用の麻薬としてだ。覚醒剤の薬理作用には、人を元気にする、恐怖心をなくさせるという効果があるからである。
 特攻隊の「別れの盃」に覚醒剤が入っていただけではない。海軍のK中尉はB-29を続けて5機撃墜したことで有名だったが、出撃前に覚醒剤を注射されていたことを後に述懐している。戦中戦後の日本の市販の覚醒剤ヒロポンやゼドリンは、大量に貯蔵していた軍の覚醒剤が元になっていたし、軍部は流通にも関与していた。
 もちろん、戦争と麻薬が密接な関係をもっていたのは日本だけではない。こちらは戦闘用というよりも罪悪感を失わせるためであるが、ベトナム戦争では、ベトコンや民間人を虐殺するためにアメリカ兵はヘロインを投与されていた。東ティモール紛争では、CIAの入れ知恵でドラッグが配られ、使用されたとも言われている。筆者の考えでは、天安門事件の際に、丸腰の学生を虐殺した人民解放軍の兵士は、覚醒剤を摂取していたと思われる。
 イスラム系ゲリラを支援するためにアフガニスタンでまず最初にCIAがやったことは、麻薬をめぐる極秘作戦であり、麻薬輸送のルートをつくることだった。これは後に武器輸送のルートとなった。さらに最近では、フランスやベルギーでテロを起こしたISの戦闘員は、カプタゴン(アンフェタミン)を摂取していたようだ。そして、かつて哲学者サルトルが服用していたことで有名なこのカプタゴン(そのために『弁証法的理性批判』を書いた後サルトルはぶっ倒れたらしい)は、現在ヨーロッパでは禁止薬物に指定されたが、今もシリアやサウジアラビアに大量に貯蔵されているという。

自衛隊内で所持は合法!?

 テロリズムが国家を背景としているとすれば、戦争への麻薬の関与は、かつても今も国家レベルで行われている。まさしく日本軍も、戦争で「仕事」をさせるために覚醒剤を用いたのだった。現在でも自衛隊法には「麻薬及び向精神薬取締法等の特例」というのがあって、何と、部隊や保管所での覚醒剤の譲り受けや所持が認められているのだ!!
 日本の覚醒剤は、戦中戦後を通じて「労働のための薬」であった。まだ合法だったヒロポンの戦後の使用者は285万人に達していた。1954年に始まる第一次覚醒剤乱用期には中毒患者は50万人に達したと言われる。当時、作家の坂口安吾や芸人のミヤコ蝶々たちも、まずは仕事のために覚醒剤を使用したはずである。ヒロポンの語源は恐らくギリシア語のPhiloponosであろうと思われるが、これは仕事好き、仕事への愛を指している。
 日本人は仕事が好きなだけなのか。いや、日本人だけではない。ナチスの絶滅強制収容所の入口には、銘として「労働は人を自由にする」というスローガンが掲げられていたが、それは単なる冗談ではなかったのだ。ボリス・ヴィアンというフランスの作家は、戦争は労働のなかで最も困難で、最も堕落したものだと言ったが、国家は覚醒剤をそのために使ったのである。

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