【中東ではいま】チェックポイントの殺人

裁判官・検事・死刑執行人を兼ねるイスラエル軍

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電子インティファーダ5月24日号
モーリーン・クレア・マーフィ
翻訳・脇浜義明

 エルサレム北部のチェックポイントで、イスラエル軍がパレスチナ人少女(19歳)を射殺した。少女が兵士を刺そうとしたので、別の兵士が撃ったというのだ。兵士に怪我はなかった。殺害された少女であるソーサン・アリ・マルスールの写真はネットに出回った。
 昨年10月、パレスチナ人とイスラエル軍の衝突が始まって以来、パレスチナ人は200人以上(うち子どもが26人)、イスラエル人は28人、米国人2人、スーダン人1人、エリトリア人1人が死んだ。イスラエル政府は、殺害されたパレスチナ人の多くがイスラエル人を攻撃しており、正当防衛だったと主張するが、証言や映像では、パレスチナ人は何の脅威も与えていないのだ。
 特にこの数カ月間はパレスチナ人の死に物狂いの抵抗が下火なっているのに、イスラエル軍による殺人行為が続いている。西岸地区・ベイトゥーニア村近くでは、5月3日、リヤード・シャハダ(36)が3人の兵士に車をぶつけて怪我をさせたとして、殺された。リヤードの兄は「事故だった。逮捕するならともかく、殺す必要があったのか」と語った。

救急隊の活動を妨害

 目撃者は、取材に訪れたマアン新聞記者に話した。
-事故だった。逃げるシャハダを、分離壁があるチェックポイントまで追い詰め、彼をトラックから引きずり下ろし、撃った。パレスチナの救急車を軍が妨害し、シャハダは出血多量で死んだ。
 4月には、エルサレムとラマラの中間にある、カランディヤ・チェックポイントで、妊婦とその弟(16歳)が射殺された。イスラエル政府は「2人が兵士を襲撃しようとしたので射殺した」と主張するが、目撃者たちの証言とは食い違う。
 イスラエル人権団体「ブツェレム」は、姉弟は「兵士の命の脅威にならない程度の抗議だった」と話した。軍が調査に入ったが、姉弟を殺害したのが民間警備員だとわかると、調査を打ち切った。同人権団体は「防犯カメラの映像を公開せよ」と要求したが、軍は拒絶した。
 「イスラエル救急隊はパレスチナ人負傷者を放置し、イスラエル軍はパレスチナ救急隊に治療させない」とブツェレム。
 5月23日深夜、イスラエル政府は殺害したパレスチナ人の遺体を、数カ月間も留め置いた後で、遺族に返却した。遺体の受け取りにあたり、遺族は数千ドルの保証金を支払い、葬儀は夜間に親族40人だけで行う、という条件を受け入れなければならなかった。葬儀が行われると、軍が包囲した。
 昨年10月、ムナースラと従兄弟アハマド(13歳)は東エルサレム入植地で、入植者をナイフで傷つけたことで、ムナースラは射殺され、アハマドは自動車に轢かれて重傷を負った。14歳になったアハマドは2つの殺人未遂で裁かれ、懲役20年を言い渡された。
 アブ・ジャマルは西エルサレムのバス停留所に突っ込み、出刃包丁を振り回し、ラビであるイェシャヤフ・クリシェヴスキ(59歳)を刺殺すると、兵士から射殺された。

処刑に法も裁判もなし

 アブ・ジャマルの葬儀後、「パレスチナ人の遺体を引き止めておけ」という命令を出した大臣が、アブ・ジャマル葬儀に大勢が参列しているビデオを見て、再び遺体返却を差し止める命令を出した。マアン新聞によれば、大臣は「扇動」を恐れたという。
 現在、イスラエルが返却しない遺体は10人以上だ。23日の早朝、イスラエルはフアド・アブ・ラジャブの遺体を返却した。彼はイスラエル警察に発砲して2人を負傷させたとして、射殺された。
 5月22日、西岸地区・カルキリア近くのハッジャ村では、バシャール・ムサルハ(22)の葬式が行われた。彼は現在イスラエル領となっているヤッファで米国人旅行者とその他数人を刺殺し、殺害された。それから3カ月後の葬儀であった。5月中旬には、さきのパレスチナ人女性と10代の少年の遺体がエルサレムの家族のもとへ返された。
 ファドワ・アブ・テイル(51)とムタジュ・ウエイサト(16)は、それぞれ3月8日、10月17日に、イスラエル軍へナイフ攻撃を仕掛けたとして射殺された。しかし、イスラエル兵士は誰も負傷していない。ウエイサトの遺族は息子の遺体検死を要求して起訴した。イスラエル政府は「遺体返却するから即時埋葬をせよ」という条件を遺族に要求。遺族は拒否している。
 3月、ヘブロンの町で兵士が何者から危害を受けたことから、倒れていたブダル・ファターハ・ユスリ・アッシャリフ(21)の頭を撃ち抜き、またラムジ・アジズ・アッカスラウィを殺害した。軍によると、2人は兵士を刺そうとしたという。パレスチナ人権団体「アル・ハク」はこれを戦争犯罪だと非難している。
 アッシャリフの頭を撃った兵士であるエロール・アザリアは現在、殺人罪で裁判を受けている。このヘブロン事件を契機にモシェ・ヤーロン国防相とネタニヤフ首相が仲たがいし、ヤーロンは辞任、その後任に極右のアヴィグドール・リーベルマンが就いた。
 彼は、軍事裁判 -イスラエル軍政下のパレスチナ人はたいてい、軍事裁判にかけられるが、同じ容疑でもイスラエル人は市民法裁判-で「テロによる殺人」と裁定されたら即死刑にするという法律を作ろうとしている。
 イスラエル人権団体「ブツェレム」は、すでにイスラエルは「法や裁判なし」で処刑を行っている、と話した。また、「容疑者にされた人物が脅威にならない場合でも、その気になれば撃ち殺してよい」というムードが充満、「兵士、警官、武装市民を検事兼裁判官兼死刑執行者にしている」とも話している。

実感した「認識の不一致」アフリカ系アメリカ人、パレスチナへ

IFPBニュースレター7月号
メアリー・ウェストン(アフリカ系アメリカ人女性活動家)

 長年社会運動をやってきたトリーナ・ジャクソンは、イスラエル・パレスチナ紛争が米国における人種差別・抑圧問題と共通点が多いことに気づいた。
 「世界の多くの闘いの中でパレスチナの闘いは私たちの闘いと関連する部分が大きい」と彼女は言う。「でも、それを自分の目で見たかったのです」。
 2014年、彼女はIFPB(※)「アフリカン・ヘリテッジ」代表団に参加してパレスチナへ行った。
 「私たちはパレスチナ人を助けるためにではなく、彼らの闘いを実際に見て米国での黒人解放の闘いと結びつけ、パレスチナで学んだことを仲間、とりわけアフリカ系アメリカ人と分かち合うために、パレスチナへ行くのだ」。
 代表団がビリン村の分離壁を訪問したとき、イスラエル軍が催涙弾を発射した。彼女はパレスチナ人が普段経験していることの一つを経験したのである。
 「目と喉が焼けるように痛かった。いったいどうなるのかと思った」と彼女は語った。代表団をガイドしたビリン村の活動家イヤッド・ブルナトが代表団を避難させた。彼女は「この事件でパレスチナ人が日常的に直面していることを知った」と、帰国後に書いた報告文の中に書いている。
 その中で、パレスチナ人の闘いと黒人の公民権運動の間の類似点についても述べている。
 「私たちアフリカ系アメリカ人にとっても、集団懲罰はお馴染みのものです。パレスチナ人に催涙ガスが使われているように、公民権運動のとき、人種差別に抗議して行進する男、女性、子どもに対して警官隊は高水圧放水を浴びせ、警察犬に私たちを襲わせた」。

国内では被抑圧者海外では特権的待遇

 イスラエル占領下でパレスチナ人が受ける非人間的扱いを目撃したトリーナは、「毎日の生活、水、土地、農作業、通学に関して、細々した具体的なひどい抑圧を受けていることが分かった」と書いた。また、自分たち黒人は国内では抑圧された存在なのに、外国では米国パスポートのおかげで特権的扱いを受けることを発見した。アフリカから亡命を求めてイスラエルへ来たのに、ホロト不法入国者収容所に閉じ込められた数百人のアフリカ人が、「同じ黒い肌の私たちを見て大変喜んだ」と、彼女は話した。
 「私たちも黒人の仲間に会って感動した。米国黒人として私たちは多くの点で彼らアフリカ人とつながりがあるが、アフリカ人の彼らは収容され、米国人の私たちは自由に帰国できるのだ」。
 トリーナは信心深い人で、長い間イスラエルを聖書の国、宗教の故郷と思っていた。聖地エルサレムを訪れ、イエス・キリストが歩いた旧市街の道を歩き、キリストの墓を訪れた素晴らしい体験だったが、同時に地政学的なイスラエルも見た。 人間を殺し、奪い、抑圧するイスラエルを見た。この圧倒的な「認識の不一致」はショックだった、とトリーナは語る。
 「でも、それに目を閉じるのでなく、引き裂かれた認識と面と向かいます。これまで受けてきた文化的オリエンテーションや条件付けと対峙し、新しい理解水準を追究します」

*注釈*
 IFPBはインターフェイス・ピース・ビルダーズ「異なる宗教・信条間に平和を建設する人々」。米国の黒人と先住民の反差別運動体で、最近パレスチナ人との連帯を深めている

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