【参院選意見特集】この現実を見据え再出発を

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ノー 突きつけた沖縄と福島

福島・シネマブロス代表 宗形修一

参院選は、「改憲阻止」を争点に、「野党共闘」の有効性が問われた。与党の争点隠しや保守メディアの世論誘導がありながらも、野党共闘は一定奏功し、全国32の1人区のうち、11議席を確保した。ミナセンなどの市民運動体は、衆院選挙に向け動き始めており、野党共闘は、実態をもって進んでいる。また、福島・宗形さんが指摘するように、東北・沖縄など切羽詰まった状況にある地域で与党は完全にノーを突きつけられている。安倍政権の継続は、人々の生存を脅かし、NO!の声を強めることはまちがいない。しかし、安倍首相が、どんな法律でも成立させうる力を握った事実は重い。街頭闘争の重要性がより高まっている。変革を求める声が、「維新」のような勢力に吸収されている事実を認めることから再出発を期したい。(編集部)

%e5%ae%89%e5%80%8d%e6%94%bf%e6%b2%bb2 今回の選挙に関して元文部省官僚で京都造形芸術大学教授の寺脇研氏がフェイスブックにコメントを発表している。ちょっと長いが引用する「与党の大勝利、改憲発議に必要な勢力確保濃厚ということで落胆している向きも多いだろうが、私はむしろ希望を感じた。大震災の被災地 岩手、宮城、福島、基地問題で苦しむ沖縄ではことごとく与党が敗北している。つまり、これまでの繁栄を享受し再び成長を願う意識など持てない切羽詰まった状況が目の前にある地域の人々はこれからの社会がどうあるべきか真剣に考え、与党にノーをつきつけたのである。与党を大勝させたのは、危機意識を持たず繁栄が続いていくと妄想できる地域の人々だ。夜明け前が一番暗い、もうすぐ、岩手、宮城、福島、沖縄だけでなく日本全体の意識が変化してくるに違いない。その日を待って、社会を変えることを諦めずにいよう。新しい夜明けは近いと思った」
 寺脇氏の視点には、大いに勇気つけられる。

安倍の未来は暗い

 東北地域では秋田は負けたが青森、山形も野党統一候補が勝利している。寺脇氏が指摘しているように他地域の人々がアベノミクスに妄想を持ったとは思わないが、与党大勝で喜色満面の安倍総理の顔を東北の片隅からみていると、ハーメルンの笛吹に導かれてゆく子どもたちを思い出してしまう。その先には光に満ちた未来の幻影が見えるかもしれないが、私には暗い暗影しか見えない。
 今回の選挙結果で注目すべきは、沖縄と福島の現職大臣の落選だろう。安倍政権は選挙前から、全国の選挙情勢はリサーチして把握していただろうと思う。この2地域の内閣支持率の低さに対応するために、戦略的に島尻氏を内閣府特命担当相に、岩城氏を法務大臣に配置した。

東北から見える日本の実像

 しかし、結果は沖縄は10万票以上の差で,前宜野湾市長の伊波洋一氏、福島は民進党の増子輝彦氏が現職法務大臣に3万票の差をつけて当選した。この結果から見えてくることは、敗戦後70年以上米軍基地の犯罪と事故の重圧に苦しんできた沖縄県民が、4月のうるま市の女性殺害事件を契機として現状を変えようともしない(特に地位協定)安倍政権にノーをつきつけたのである。
 また、福島は汚染廃棄物の処理もままならず、県内市町村に放置されつづけている黒い袋(フレコンバッグ)は破れ、福島第一の汚染水の処理は今に至るも完璧に処理するにはいたっていない。そして賠償措置を一日も早く打ち切りたい政府東電の意向は、強制帰還路線とも思えるような測れば10~20ミリシーベルトでも出るよう地域に、安全宣言を出して帰還準備地域の居住制限を解除している。福島県民は事故後5年を経過しても、約10万人がいまだに自分のふるさとに帰れないでいる。このような状況をみるにつけ私たちは、鹿児島川内原発が熊本地震後も停止しないでいることに、戦慄と恐怖を覚えている(三反園新知事に期待)二度目の想定外は許されないからです。今回の選挙結果に関して東北大大学院の川村和徳准教授は「東北は歴史的に経済発展を後回しにされ、食料供給や原発立地など中央のための役目を背負わされてきた。被災者の声をすくい上げられない与党への失望が、政権へブレーキをかける投票行動につながった」(福島民報7月13日号より)と語っている。またTPPも農家の離反を招いているとの指摘もある。
 東北から見える日本の実像は、けばけばしい厚化粧の町だ。原発で無人となった町の信号が、空しく点灯を繰り返している。その現実を見据えることからしか、わたしたちの出発はないと思う。

ひとりで連続街宣やってみた@参院選

路上は民主主義の教室だ

 「安倍に舐められっぱなしでいいのか。選挙に行ったって、って思うかもしれない。野党なんてどこも信用できない。けど、いま選挙に行かなきゃ、余計に自分の首を絞めることになるんだ、安倍に舐められることになるんだ」
 選挙前、僕はできる範囲で「ひとり街宣」に取り組んだ。プラカードは「生きづらいなら選挙に行けよ」という変わり種の啓発文句。拡声器でアベノミクス批判7割、反改憲3割で同じアジテーションをリピート再生。開始5分前~10分後は非常につらく、「なんでこんなことやってんだ」と鬱々とした気分に陥る。
 回数は通算10回程度、たいした数はこなしていない。思い立ったのは、参院選が近づくにつれて、選挙が盛り上がっていないことに焦燥感を覚えたからだ。
「できる範囲のこと」ならば、三流活動家の僕はひとり芝居でもやればいい。言いたいことを好きに言える。言いたくないことだって好きに言える。

通り過ぎる人を想像しながら

 アジテーションの内容は最大公約数を意図した。通り過ぎていく人が抱えてそうなことを想像しながら、エグるような言葉を繰り返した。生活や仕事の苦しさ、不安で夜が眠れないこと、将来なんてないこと、選挙なんてワイドショーだってこと、与党はクソだけど、野党にも希望なんてないこと。それでも政治と人生は結びついていて、マシなところへ入れるしかないこと、を叫び続けた。
 2時間近く喋り続けていると、必ずイベントが発生する。教師を名乗る酔っ払いサラリーマンは「維新から出馬してくれよ。学校に来て喋ってくれへんか」と言語りかけてきた。警察の妨害や、怖い兄ちゃん数名に取り囲まれたこともあった。意味不明に「白票入れろって言うてよ」と話しかけられ、喋ってもない自衛隊のことを、遠巻きにぶつぶつ言われることもあった。
 それでも、効果はあった。アパレル系で働く23歳・男性は「率直で、わかりやすかった。選挙に行きます」と、話しかけてきた。関東から引っ越してきたばかりだという20代後半・女性は「週6・残業込みで働いても生活が苦しい。選挙、大事だと思っているけど、運動に関われる時間がないから、聞けてよかった」と伝えてくれた。そして必ず、「ありがとう」と言って立ち去る中高齢層の人たちがいる。終盤には友人が予告なく訪れ、大雨に打たれながら、一緒にプラカードを持ってくれた。
 路上は出会いの場であり、民主主義の教室だと思う。日常において、背景も価値観も異なる人々に、言葉をどう紡いでいけるのか。生存・人権・民主主義の普遍的価値に根ざし、共生を模索し続けたいと思うのだ。

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