【編集部からの 新年挨拶】

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的確な判断と技能で上手く降りる

 山登りでは、下山の方が怪我をしやすく、状況判断もより的確さが求められる。木登りも同様。かの「徒然草」では、木登り名人が「危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに…、『過ちすな。心して降りよ』と言葉をかけはべりし」という。


 資本主義がピークを過ぎて下り坂を転げ落ちている。「下り坂」は否定的イメージだが、「生死一如」(生死は表裏一体)とのブッダの教えと同様、下りのない登りはない。「資本主義とともに沈没」は、まっぴら御免だし、上手く降りる的確な判断と技能があれば、下りには、登りと違う風景が広がり、豊かな時間があるはずだ。


 60才を超えた私。人生の下り坂をどう上手く降りていくか? 果たしてその技能と判断力は身についているのか? 試されている。(山田)

より紙面の多彩化と世代交代を

 19年の挨拶では民衆革命について勇ましく書きましたが、実際は体調不良と回復を繰り返した1年でした。3・11影響の「原発ブラブラ病」になっているなと感じます。


 でも東京に残っていたら、避難理由であり何度も倒れた心臓病が悪化して死んでいたかもしれない。「不調」で済んでいることに感謝しています。しかし何も終わっていません。事故は続き、数千万人が被ばくしているのだから。避難政策を国にやらせることが絶対必要で、新聞でも追及します。


 他にも19年は紙面が多彩に、世代交代が進んできたと思います。20年はさらに推進し、無料の右派メディアから主導権を奪い取るくらいしたいです。そうして世界を変えるために協力をお願いします。(園)

新聞自身が主導し論調を創る

 入社して2年、だいぶ仕事にも関西生活にも慣れました。社会運動圏以外の仲間も増やせた成果として、文化欄や若い書き手が充実したと思います。社会問題に追われただけではなく、狭山闘争の報告など、新聞自身が主導して話題や論調をつくれるようになりました。2020年は私たち若い世代に人民新聞がより必要とされるように頑張ります。  (村上)

正義を主張することは正しい

 「気候正義」を掲げる運動が世界的に盛り上がる中で年を越した。良い年明けだ。この運動は若い世代の活動家によって担われているが、齢の離れた私も流れに乗って、今年は「気候正義」を主張するオッサンになりたいと思っている。


 わざわざそう言うのは、これまで「正義」を口にすることにためいがあったからだ。バラバラな「個」の私的利害が対立する資本制社会では、「類」としての普遍性は疎外された観念としてあるほかなく、「人権」とか「正義」のような形式的抽象的普遍は、階級支配の現実を隠ぺいするブルジョア的観念だと考えてきた。エコロジーも自分にとっては、そのような「正義」をめぐる問題だった。


 で、昨年読んだ斎藤幸平著『大洪水の前に―マルクスと惑星の物質代謝』である。この本は、そんなエコロジーの見方を考え直すきっかけとなった。自然と人間の物質代謝を軸に、マルクスの視点から環境問題を論じる論理の展開は、明るくスッキリした印象で、正しいことを主張する手前でグダグダ言うのをやめようという気にさせてくれた。この著者のインタビューが新年号1面であることが、とてもうれしい。インタビュー記事はまだ読んでいないが、さらに晴れやかに気候正義を主張できる気分で新年を迎えさせてくれるものと期待している。  (トシ)

文化から見える政治的な視線

 紙面改革の呼びかけとともに文化欄をたちあげることになって、準備期間も合わせて2年半ほどになります。自分が関わってきたことを語ることには憚れますが、多様な書き手の参加のおかげでだいぶ定着してきているのではないかと思っています。


 やってきて最近思うのは、文化から見える政治的な視線というものが一方であるのではないかということです。文化的な活動を通してみえる政治。あるいはある政治状況が文化的素養を育むということもあるでしょう。


 表現の先にある政治。または表現の根底に寝そべっている政治状況や生活。そもそもそのように分けてしまうことこそが間違いなのであって、往来しながら、混じり合いながら展開するものなのかもしれません。


 そのようなさまざまな角度からの政治への視線やひとの動きを多面的に追うことで、新聞紙面に厚みがでる。今年はそのような魅力をより一層加えられるようにしていきたいと思っています。 (矢板)

責任をとらない政治を終わりに

「自衛隊派遣は有害無益」と断言したアフガニスタンの中村さんが亡くなった。同じ12月「森友文書不開示は違法」との控訴審勝訴、伊藤詩織さんの民事訴訟の勝訴、とのうれしいニュース。反面、これまでにないまともな司法判断の意図と行方が気にかかる。


 『嘘とごまかし、知らず存ぜぬ、「説明責任を果たす責任」や「任命責任は私にある」と言いながら何も責任を取ろうとしない人。自分のお友達や取り巻きの為にだけ「公権力」を使い、税金を自分のお金と勘違いしている人』―終わらせよう、こんなこと。    (田中)

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