【イスラエルに暮らして】犠牲者の家族・葬列に 襲いかかる特殊部隊 イスラエル在住 ガリコ 美恵子

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理由もなく尋問・拷問の末 虐殺


被害者宅を包囲する特殊部隊
自宅でできないお通夜

 イスラエルが殺害したパレスチナ人の葬式には催涙弾がつきものだ。無実の場合でも、謝罪はおろか、遺族を攻撃する。
 

シルワン村のファーレス・アブナブ(24)はタクシーの運転手だった。「東エルサレム出身の若者ファラスが、警察に撃たれて死亡」というニュースを聞いたファーレスの父は、心配になって携帯に何度も電話したが、音信不通。東エルサレムの警察署へ行方不明届を出すと、西エルサレムの尋問所へ行け、と言われ、息子の死亡を告げられた。遺体はすでに、死体解剖所に送られていた。
 

同夜、イスラエル特殊部隊は、長男の死に泣き伏すアブナブ家の前庭と裏庭に侵入して、催涙爆弾と音響爆弾を撃ち込んだ。お悔やみを言いに来る親戚や友人も攻撃されたという。攻撃は3日間続き、同家の付近まで車を走らせ、車窓から射撃したユダヤ人入植者もいた。
 

シルワン村は包囲されており、アザ(3日間の通夜)を自宅で行うのは無理だった。危険すぎるからだ。
 

ハ・アーレツ新聞は、「ベツレヘム方面に走行中の車を、車泥棒と勘違いして銃撃。運転手に着弾して死亡」と報道した。しかし、後日「銃撃は、運転手が下車した際。車内を点検すると、盗品でないことが判明。警官は身柄拘束されたが、釈放」と訂正した。
 

2日後、遺体は家族に返還されたが、警察はシルワン村を非常事態下においた。ヘリコプターが地上を照らしながら低空飛行し、スカンク・カー(高速で汚水噴射する軍大型車)、戦闘馬、武装警察1000人が動員された。
 

遺体が乗せられた救急車に近づいたファーレスの父は、特殊部隊に殴打された。
 

モスクでの弔いの礼拝後、参列者は、墓地までの起伏ある1kmの道を棺を担いで運んだ。中間地点に来ると、武装警官200名が、葬列を止めた。「予備部隊がまだ全員到着してない」からだと言う。

 

参列者を攻撃

死体は重い。民衆はその場所で「神は偉大なり」と唱えながら、交代で棺を肩に持ち続けた。20分後、戦闘準備万全の予備部隊が到着した。胸におびただしい数のスポンジ弾を固定した警察特殊部隊。機関銃・感電銃・防御用ヘルメットを被った国境警察特殊部隊は、手に音響爆弾を握っていた。封鎖解除しながら指揮官は「二手に分かれろ。両手討ちだ」と命令した。
 

棺が墓地に到着し、埋葬式が行われた。墓地は旧市街ライオン門外にあるのだが、軍は、ライオン門付近全域を包囲していた。
 

墓地の外で制服警官が私を手招きし、何をしているのか?と英語で聞いてきた。「あんたたちがブロックしているから立ち往生している」と答えると、「さっさと行ってください」と言い、兵士には、ヘブライ語で「この外人を通してやれ。行ったら、開始だ」と命令。そして叫んだ―「捕まえろ!ノルマ10人、ヨーイドン!」。先頭に居た特殊部隊は、参列した男性めがけて走り出した。
 

背後では、催涙弾の炸裂音。シルワン村のあちこちで白い煙が上がった。それは1時間以上続いた。

 


拷問跡が残る遺体
誤認逮捕隠蔽のため射殺か?

ファーレスの遺族を訪問した。遺体の写真を見せてもらうと、新聞記事はでたらめで、拷問の末の射殺であり、当局の過失が完全に隠蔽されていたのがわかった。
父―息子が殺された日、警察は『尋問所に行って息子の居所を聞け』と言った。尋問所に行くと、息子の車が駐車場にあった。警察が俺に息子の死を告げるまで、7時間かかった。警察は、「車から降りたところで射殺」と説明したが、車体には銃弾痕も血痕もなかった。遺体を見てさらに驚いた。拷問の痕があったからだ。腕は捻じ曲げられて骨折。顔に殴打の痕。鼻は折れていた。背中には鞭の跡。頭部は十数針の縫い跡。遺体解剖の結果は、『死因は頭部2発、胸2発、腕2発、腹部1発、計7発の実弾による』と記載されている。が、本当は拷問を受けた後に射殺されたのだ。警察は嘘をついている。俺は、事実が知りたい。なぜ、どのように、息子が死に至ったのか、知らねばならない。裁判で闘うつもりだ。
母―3年前、次男(18)が入植者に殺された。警察は、交通事故とした。でも、地元の人が撮った証拠写真がある。入植者の車が、バイクに乗った息子の前に突っ込んで、息子はハンドルが切れずに、転倒して死んだ。入植者に非があることを警察はわかっていたはず。なのに、入植者は罰せられず、警察は遺族である私たちの家を包囲し、攻撃した。今回も、私を慰めに来た親戚は、警察の催涙ガスで攻撃され、幼い従弟たちが呼吸困難になった。むやみに私たちの子どもを殺したり、虐待するのを許せない。イスラエルは、私たちの血を軽く扱っている。
 

在日総合雑誌「抗路」を読むと、イスラエルによるパレスチナ人への悪事は、日本がアジア諸国の人々に行ったこととよく似ているのに気づく。日本もイスラエルと同じく、反省せず、謝罪もない。

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