【ぷりずむ】

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 誰かの役に立ちたいという思いは、各現場で闘う人々や台風被災地のボランティア活動の人々を支える大切な感情だ。だがそれが国家動員と一致したら? 賃金を下げたい国家がボランティアを使って安く経済を回すとすればどうか? 戦前期の研究である池田浩士『ボランティアとファシズム』(人文書院)を読み、この問題は現代性を持つ課題と直結すると感じた▼徴用工問題は植民地支配と民族差別という条件で行われた大規模労働搾取であり、その構造は現在の外国人研修生の問題につながる。これは韓国に対するヘイトスピーチを通して仕方ないこと、当然のことのように正当化される▼天皇即位式の勲章をぶら下げた人々を見上げて寿ぐ臣民たちの姿からも、これを目撃した。搾取される側にいるのに自発的に身分制を礼賛する彼らは、消費者の立場に立って社会を見て、労働搾取されている自分のしんどさから目を背け、ほっこりする。その自発性では勲章社会に参入できないが、あたかもそちら側にいるかのようだ▼搾取現場である徴用工や外国人労働者の姿を、自分の側に想像せず、違法視するのが現在の臣民だ。搾取から目を背けるボランティアは、国家動員に符合する。  (K)

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