【言わせて聞いて 投稿募集】あなたの「食を通して社会を考える」を知りたい

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 残さず食べること。それは栄養バランスやカロリーの観点からだけではなく、料理を作ってくれた人や、野菜や肉や魚などを提供してくれた人への感謝の気持ちを示すという意味でも大切なことなのだろう。私は旅館の洗い場や料亭の配膳でアルバイトをすることが何度もあったのだが、ほとんど手も付けられずに残され、廃棄される料理の多さに毎回あきれていた。板前さんが廃棄の場に来ることもあったが、彼らも激しく憤っていた。  

そう、完食することは、「正しさ」であり「礼儀」でもある。しかし、日本会食恐怖症克服支援協会の山口さんを取材するうちに別の側面が見えてきた。教育の場では「完食」という正しさに向けて、学校全体で目標を立て、教師同士が互いにプレッシャーを与え合い、最終的には弱い立場の子どもを「誰かと食事を取ることができない」状態にまで追い詰める可能性があるのだ。  そういえば、私は小さな頃は食べるのが遅かった。保育所に通っていた頃は、他の子どもが食べ終わって自由に過ごしている時間も1人隅のほうで食事を取っていたのだが、同級生に「のろま~」とからかわれることもあり情けなかった。また、小学校1年の頃だと思うが、私が給食を食べている時に掃除が始まってしまい、埃っぽい空気の中で物を食べるのが不快で、なおさら食欲を失った記憶がある。  

私は1983年生まれ。どちらも大阪市内の話である。きっと、世代や地域、学校によって似たような経験がある人もいれば、全く想像もできないという人もいるだろう。編集部などで「完食指導」について話題にした時、さまざまな意見があり大変興味深かった。  

「食べること」との付き合い方、そして世間や家族、学校などから「食べること」を通して期待される(と感じる)ことなどは、人によって異なるはず。ぜひ、読者の方々の意見を拝読したい。(ライター 谷町邦子)

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