食べて、身になる】連載(1) 人々が集う食堂で 「便利」さに対抗 木澤 夏実(げいじゅつ と、ごはん スペースAKEBI)

食を通して社会を考える

大阪市北区で「げいじゅつ と、ごはん スペースAKEBI」(以下、アケビ)を営む木澤夏実さん。工場を改築した店舗で手作りの料理をふるまう。今回は「場」「人とのつながり」という視点で「食」について語る。

さまざまなアーティストが集う、 雑多で、かつ、繊細な場所

 店名に「げいじゅつ」というワードを入れたのは、大学時代に在籍していた絵画部の後輩たちに展覧会の会場として使ってほしかったためだったが、今ではさまざまな活動をしている友人たちがあらゆる種類の芸術をアケビに持ち込んでくれるようになった。音楽、映像、踊り、文学……みんなのおかげでとても面白い場所になってきたなぁと、日々感心している。  

元工場の無骨さの残る店内には、6人掛けのカウンター、2人掛けの小テーブル、8人掛けの大テーブルがそれぞれひとつ。どこに座っても他の客、もしくは外の通行人が視界に入るようなこの席の配置が、私は密かに気に入っている。  

半ば勢いで店を始めたので、「どういう店にしたいか」ということについて立ち止まって考えたことがなかったが、今までを振り返ると、お客さんから「料理がおいしかった」よりも「楽しい時間だった」という旨の感想をいただいた回数の方が圧倒的に多い。その度にわたしは小さくガッツポーズする。その言葉を聞くと、「店をやっていて良かった」とやりがいを感じるのだ。そこから逆算すると、「楽しかった」と言って心を満たして帰ってもらえるような店を作りたいのかなぁ、なんて思っている。  

私自身、料理人としてのアイデンティティは持ち合わせてはいるものの、「渾身の一皿を作って、食べた人を唸らせたい」というような職人的願望は皆無である。腕に自信がないわけではなく、「それは私の使命ではないなぁ」という思いがボンヤリとあるのだ。料理という「手段」を使って、人々が集まり交わる場作りをしたいと思い、食堂を続けている。  街に出て通りを見渡せば、多種多様な飲食店がひしめき合っている。まぁよく見ればその大半が大手企業のチェーン店だが。  

24時間営業の定食屋、電源を自由に利用できるカフェ、隣の客との間に間仕切りのある半個室的なラーメン屋。それらに共通するメリットは、他の客や店員から「ほっといてもらえる」ということであり、仕事や読書に集中したい時や、とにかく空腹を満たしたい時などにはもってこいの環境だ。  

出前代行「ウーバーイーツ」 便利なサービスの影に搾取!?

フレキシブルに活動する現代人の要望を的確に把握した便利な店があると助かるなぁと感じる一方で、その便利さや気楽さについつい頼り切ってしまい、ひとりでとる食事が当たり前になってしまうのではという危機感も覚える。誰にも干渉されない空間で、スマートフォンでもいじりながら黙々と済ませるだけの食事は、そこが店であろうが自室であろうがどちらも「孤食」状態だ。胃袋は満たされても、心までが満たされるのか。  

また、最近では飲食関係のサービスも非常に現代的な変化を遂げつつあり、その代表的なものが「Uber Eats(ウーバーイーツ)」という出前代行業務である。運営会社であるUber社に身分証明を提出し、受理されれば誰でも配達員として登録できる。配達仕事をしたい時、スマートフォンの専用アプリを起動すると、自分の現在地から特定の範囲内で配達を依頼している店舗が表示される。店舗まで料理を取りに行き、指定された配達先まで届ける。配達にかかった時間と距離によって仕事料はまちまちだが、効率よく配達すれば時給にして1000円程度にはなるという。  

個人請負の仕事ゆえに同僚や上司はおらず、人間関係の煩わしさを気にせずとにかく金銭だけを稼ぎたい人たちからは非常に重宝されているらしいが、苦手だった人間関係の結び方やチームワークを歴代の職場で学んできた私からすると、煩わしいと避け続けてしまうのはチャンスを捨て続けているように見えて非常に残念だ。  

また配達中の交通事故の多さと、それらに対して運営会社からの保障が無いなど、労働条件の問題点も指摘されており、先ほど述べた「孤食」の問題と同様、便利だからと言って頼り切ってしまうのは危険である。  

便利さを追求した現代的な食のサービスを消費者側が自らの意志で選択していたはずが、気が付いたらサービスする側にたくさんのチャンスや権利、喜びを奪われてしまっていた、という惨事が、世界中で日々起きている。これも立派な搾取と言える。  

その大きな流れに対抗すべく、私は今日も小さな食堂を営業するのだ。たまたまでも、わざわざでも、一度きりでもいい。ひとりでも多くの人がアケビにたどり着き、心を満たして帰ってくれたら嬉しい。

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