頑張ればなんとかなるとか お花畑な幻想ですね~その2~小坂 保行(路上雑誌販売員・アマチュア作家)

LINEで送る
Pocket

金沢の路上生活者のリアル

 2006年3月末日。収入を絶たれた私は、入院中にアパートを解約したので、退院当日から寝泊まりする場所を失いました。さて、今後どうするか。さしあたってはこの日の夜。  

私は入院する時、自家用車を所有していました。地方都市は車なしでは生活できないくらい、公共交通機関が貧弱で、成人1人に1台は当たり前なんです。  

入院した時に誰が手配してくれたのか、車がアパートの駐車場から空き地に移動されていました。3カ月も乗っていなかったから、バッテリーが上がってエンジンはかからなかったですけど。車の中で一晩過ごしました。その車も後に、廃車となりました。  

翌日、下半身がまともにうごかせないけど、その範囲でできる日雇い派遣の仕事探しに。正社員や長期の仕事を探すなんて悠長なことはできません。仕事したその日にお金が手に入らないと、食うに困りますから。  

当時は日雇いの仕事が割と多かったのです。ただ、下半身が不自由でもできる仕事は限られますので仕事があったりなかったり。つまり、食糧にありつける日があったりなかったり、という日が続きました。寝泊まりするところは、同じ場所に居つくと怪しまれると思い、公園のベンチで寝たり、大型施設の物陰で過ごしたりと転々としていました。  

そうしているうちに、退院後、初めての夏を迎えました。路上生活を経験した季節の中でも、夏場は特に不快でしたよ。北陸の夏は、朝から夜までじめじめと体に湿気がまとわりつく暑さ。「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど晴れの日が少ないのに、気温は高く蒸すような体感なんです。  

蒸し暑く不快で、仕事にありつけない日、生活保護という制度があることを思い出しました。  

不条理!  夏の水際作戦

こんな生活とも言えない日々を続けていたら、数日先でもどうなるかわからない。  

意を決して市役所に行き「生活保護を受けたい」と、担当課窓口に告げました。面談が始まり、生活保護を求めるに至った経緯を洗いざらい話しました。  

担当者は「今は定住していないということですね?」と念を押してきます。ホームレスだから、定住してる家なんかあるわけがない。すると「家がないと生活保護は申請できない」と言われました。 (家がないからここに来て、この先どうしたら良いかのアドバイスを求めているのに)  

内心イライラしつつ「それではまず市営住宅に入居できないか」とたずねると、「ここは管轄外なので、市営住宅を担当する部署に行ってくれ」と。  

市営住宅の担当部署で事情を話すと、「次回の締め切りは数カ月後の何日で、抽選に申し込みが必要」と言われました。「数カ月後までどうしたら良いのか」と聞けば、「担当外の話なので、自分で何とかしてくれ」と言います。「何とかできないから相談してるんだろう」と力が抜けました。「今まで何のために税金を払い続けてきたのか」と怒りがわき、市役所を後にしました。  

数年後、生活保護を受けたいという者には、保護の申請書を渡さなければいけないと聞きました。でも、申請させたくないから、のらりくらりとかわす。そういうのを水際作戦と呼ぶらしいですね。  

失望とイラつきを抱えて市役所を後にした時の、まとわりつく蒸し暑さ、目に入る風景のよそよそしさ、それらが一体になったような感覚は、今でも忘れられません。

LINEで送る
Pocket