【文化欄】反戦アート(5)芸術作品にリアリティを凝縮 崔 在豪(神奈川朝鮮中高級学校2018年卒)

<反戦を作品に込めてアートで挑む人々> 人的な事が政治的社会的な事であるという証明

 1999年生まれの崔在豪さんは、2013年から作品制作を開始。特定秘密保護法や原発問題など、生活に関わるはずの問題を報じないメディアと、それに違和感を感じない世論への警鐘のため作品を発表している。

伝えないメディアと疑問のない世論に 危機感をいだきはじめた中学時代

 私が反戦や社会問題をアートで表現しはじめたきっかけは、中学・高校時代に所属していた部活にあります。  

私は中高と朝鮮学校に通っていたのですが、美術部の指導教員が大変に社会問題に関心をもっている人でした。  

その先生が独り言のように、世の中で起きている問題や新たに決まった法律について話していて、社会に対して大きな問題意識を抱くことになりました。  

2013年、私が中学2年生の頃です。悪名高い特定秘密保護法が可決されました。当時、大変な不安を感じたのを覚えています。  

その不安と同時に、そのことが全くメディアで取り上げられない不可解さと、全く違和感を感じない世論について、不思議に思いました。今思えば第2次安倍内閣の2年目でした。まさか安倍時代が7年続くとは思いもよりませんでした。そろそろ退陣願いところであります。  

私が制作した作品の中で印象深い2点をあげたいと思います。一点は50枚のコンパネを並べて制作した星条旗です。一枚一枚全く異なった色やマチエール(作品の材質がもたらす効果)です。この作品のきっかけは、アメリカによる他国への度重なる軍事介入です。正義の名の下に断行されたイラク戦争は間違っていました。  

そもそも正義の戦争、正しい戦争行為があるのかというのが作品の根本的な問いになります。他国への軍事介入を重ね「世界の警察」としてのアメリカを誇らしく思う人はいるでしょう。  

しかし、国家という巨大権力機構は嘘と欺瞞に満ちています。この作品は軍事国家アメリカとともに国家権力そのもののへの批判も内包しています。  

アートとは感覚を通して伝える 非言語コミュニケーションだ

次の作品はモルタルの壁の周りにブラウン管テレビが配置され映像が流されている作品です。実はこの壁の向こう側には子ども服が山積みになっており、子ども服の下からテレビの電気も壁に取り付けられたソケットの電気も引っ張られています。  

壁を取り囲むように設置されたテレビには数台だけ壁の中の映像が流され、その他のテレビではワイドショーや消費的な情報が流されています。  

この作品を鑑賞する人の中で、壁の内側の映像に興味を持つ人は多くはありません。そして、壁の横には脚立を備え付けています。これは見ようとすれば現実を見ることができるという隠喩でもあります。  

このインスタレーションは福島原発事故の風化を物語っており、マスコミは全く福島原発事故の現状を伝えることもなく、政府も原発再稼働の方向へ舵を切っています。避難者への支援金も打ち切られ、棄民政策が続いているにもかかわらず、社会にその声はしっかり届いていないのが現状です。 

私の出身は神奈川県なのですが、京都に来てみると、関東よりも一層風化が進んでいる気がしてなりません。原発銀座と言われる福井県がこれほど近いのにもかかわらずです。なぜ人はこんなにもすぐに忘れてしまうのでしょうか。  

私はアートとは非言語コミュニケーションであると考えています。つまり、言葉では表現しきれない「何か」を感覚的に鑑賞者に伝えることができるということです。言葉は完璧ではありません。作品の制作から展示の流れで私が最も大切に思っていたのが作品を通しての鑑賞者とのディスカッションです。  

社会問題に全く関心を抱かない人がいる一方で、関心を持っている方もいます。そのような考え方のちがいを乗り超えて、芸術には普遍的な「何か」を伝える力を有していると私は考えています。  

芸術は政治を語るべきでない。芸術は政治や社会問題といった不純なものを含むべきではなく、純粋に美しくあるべきだという人々もいます。  

ですが、私はそうは思いません。芸術作品には制作者のリアリティが凝縮されています。それは個人的なことが政治的、そして社会的なことであるという証明でもあり、ある種の意思表明でもあるのです。芸術表現とは縛られることなく自由であるべきだと考えます。

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