【パギやん吠える】狭山差別裁判 そして、ヨンニッパ 浪花の歌う巨人・パギやん(趙博)

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民主主義は「己の闘い」の 結実として実体化する

沖縄万歳?!

 2月24日、沖縄県民投票は「新基地建設に72%の反対」という断固たる意志を「形と数値」で示した。  

筆者は、この結果を「沖縄の民意」、つまり「民主主義における多数決の勝利」として「日本国本土」で賞賛することを拒否する。

 「沖縄の闘いは凄い」「沖縄にこそ民主主義がある」などと、ヤマトンチュ(日本人)が万歳三唱することは、断じて許されない。民主主義は「己の闘い」の結実として実体化するのであって、連帯や共闘の名を借りた「他人の成果の横取り」では決してないのだ。  

辺野古現地での闘いへ「本土」から行くなとは言わないが、「安倍ファシスト自公独裁政権」「どチンピラ維新」「フヌケ国民民主」を打倒することの方が数千倍重要だぞ!  

あれから56年

56年前、部落差別によって文字と教育の機会を奪われた石川一雄さんが、殺人犯にでっち上げられた。「狭山事件」とは、実は国家権力による意図的な冤罪事件である。

 そして、獄中で自らの生い立ちと部落差別の現実に目覚め、文字と人間の尊厳を取り戻す決意を打ち固めた石川さんの闘いが、戦後民主主義の陥穽であり瑕疵でもあった「部落差別」の現実を広く知らしめた。  

特に「差別の現実に深く学ぶ」数え切れないほどの教育実践が生み出され、無数の共感と連帯が波濤となってうねりながら、「差別裁判打ち砕こう」の歌声が全国津々浦々に響いた。これこそ「民主主義のための闘い」だったはずだ。それを知っていれば「♪ミンシュシュギッテナンダ」のラップもどきも、違った響きを醸しただろうに…。  

ちなみに「差別裁判打ち砕こう」を広めたフォークバンド・水平線の成員だった山本隆俊は、いまや「大阪維新の会」の重鎮だ。「民主主義」の変節と転向も忘れてはならない!  

どこへいった、 ヨンニッパ?!

ヨンニッパ、つまり4月28日とは「1952年4月28日」のこと。  

1951年(昭和26年)9月8日にサンフランシスコで署名され、翌1952年4月28日に発効した「日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)」によって、日本本土ではアメリカ軍の占領が終わった「主権回復の日」と、うそぶいている。  

しかし本当は、「日米安保条約」と「日米地位協定」も同時に発効して、沖縄が日本から切り捨てられた「屈辱の日」なのだ。  

そして、1969年からずっと4月28日は、毎年「ヨンニッパ・沖縄デー」として日本全国で集会やデモが行われた。  

ちなみに「1952年4月28日」は在日朝鮮人・中国人の選挙権が剥奪された日でもあることを、ヤマトンチュは心に刻んでおけ。

 「…人間を勦(いたわ)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際(このさい)吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧(むし)ろ必然である。」(水平社宣言より)

 オマエとオレが人間を尊敬しえない限り、何度でも何度でも、この必然は立ち現れてくる。

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