【祝】連載100回記念 特別企画 著者・まつだたえこさんインタビュー

貧困さんいらっしゃい ~いつ死んでもこの作品は相手に届くぞ!~

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 本紙連載4コマ漫画『貧困さんいらっしゃい』が100回を迎えた。10年前から貧困や摂食障害に苦しむ当事者として、日本の政治・社会の問題を鋭く、おかしく描いてきた、まつだたえこさん。「ウツ」など自身の心の病を題材にした漫画は近年増え、共感を呼んでおり、その先駆けと言える。今回、読者から「記念企画をしてはどうか」と提案をもらい、まつださんにインタビューした。まつださんは、病気との闘いを振り返りながら、「命をかけて描いています。原稿を郵送する時、『いつ死んでもこの作品は相手に届くぞ!』という気持ちで、描き上げたその日に投函しています」と、語ってくれた。過去の連載漫画をまとめたブックレットも作成し、年明けに販売する予定だ。(聞き手…編集部・村上)

摂食障害とのたたかい

 私は、過食と拒食を繰り返す「摂食障害」という病気を抱えているので、常に食欲と闘っています。食べ過ぎてしまうからです。「ラマダーン明け」と呼んでいますが、「22時40分まで食べ物を口にしてはいけない」という「決まり」を自分に課しています。

 家に居たら食べてしまうので、22時までは外出するよう努めています。22時に「今日も無事に食べずに過ごせた」と思いながら、炊飯スイッチを入れて40分。これなら我慢できる闘いです。

 時間つぶしに、無料で過ごせる場所に出かけます。何の予定もないと、家にいる=食べてしまうという恐怖が常にあります。「今日はどこへいこうかな」と考える時も、目的はその場所ではなく、「食べない」ことが目的なのです。

 スーパーで新聞を読もうとしても、腹が減ってそれもできず、自己嫌悪になります。地域活動センターの精神障害者向けデイサービスでよくトランプをしているのですが、私にとっては「食べない」ための時間潰しでしかないのです。

 障害者手帳を持っているので、美術館もタダです。先日も神戸市美術館へ行こうかと思ったのですが、何度も見たし、もう何の楽しみもない。「ラマダーン明け」まで時間を潰して、がんばりぬいたご褒美で「食べる」。人参を鼻先に括り付けられて走る馬みたいじゃないですか。食べ物で自分自身を釣っています。 

 
 それでも最近「希望をもてるかな?」と思ったのは、コンサートでバレエの発表会を観たときです。いつもは体力の限界で寝てしまったり食べ物のことばかり考えて、あとで落ち込んでしまうのですが、珍しく集中して楽しめたのです。「食べ物以外でも関心をもてた!」と心が和みました。

 昨年は、人民新聞の文化欄会議に呼んでもらえただけで「生きる希望」でした。ところが今回もっとうれしい書籍化の話なのに、自身の問題でうちひしがれて喜ぶ余裕がなく、病気も悪くなり、体力も落ちてしまいました。食べること以外に何が楽しくて生きているのだろう…と自分を責めてしまう。生きるために食べるんじゃなく、食べるために生きている自分が嫌なんです。

 でも今日になってみたら、「人民新聞の会議がある! インタビューへの返答もうまくできるように!」と張り切っています。人民新聞との関係は、私にとって大きいのです。

 夜は眠れないので、パンを食べながら絵を描いたり、レシピを書き写しています。「食べる」といっても、焼いていない食パンと塩水を口に含んで、飲み込まずに隣に置いてあるボウルに噛んで吐き出すだけです。
 この頃は、レシピを書き写すのに必死です。覚えてしまうくらい何回も描いて、それが何枚も部屋に積みあがって溜まっていくのです。病気に人格がのっとられていくのを感じます。戦時中の学生が食べ物ばっかり描いていた話に重なります。

幼少期の性暴力から漫画の描き始めへ

 拒食症になったのは14歳。17~18歳で、拒食から過食になりました。たまに食べ過ぎて止まらなくなり、拒食と過食を交互に繰り返すようになりました。そのときの周りの対応に傷つけられ、トラウマから抜け出せないでいます。

 「過食症」は私が発症した当時、まだ世間に知られていない病気でしたので、家族も知りませんでした。過食の食べ方は、「大なべから手づかみで食べる」というものでした。父は「若い女の子のやり方でない。死ね、出ていけ」という言葉を投げつけてきました。「けだもの以下、死ね」と言われる食べ方しかできない自分というトラウマです。弟は「お前なんか姉じゃない、死ね」と顔に唾を吐き、殴る蹴るの暴行を加えてきました。

 人民新聞には「貧困さんいらっしゃい」を連載する前も、時事ネタで不定期で描いていました。それから連載の話になって、じゃあテーマは何にしようと考えたら「貧困」になりましたが、自分のこと考えてたら、家もあるし、食べ物もあるし、私なんかが書いていいのかなという戸惑いもあります。

描くことが存在証明

 8歳の時に、見知らぬ人から性暴力を受けました。犯人は捕まっていません。親も「恥ずかしい」と隠していました。

 性暴力は、人の人生を変えるむごい犯罪です。性暴力を受けた「穢れた存在」である自分。そこから「清らか」であること、ストイックであることに活路を見出すようになったのは、関係があると思います。

 だから「拒食」を手放せないのです。食べずに頑張る自分が好きなんでしょう。食べない自分は清らかなのです。でも腹が減るから、食べたいから、「拒食」と「過食」が、ぶつかりあって喧嘩しているのです。

 ギリシャ神話に、翼をもったがために神に近づこうとして蝋が解けて転落するイカロスの話があります。食欲という本能のコントロールができなくなった自分と重なるのです。

 絵は、物心ついたときから描いていました。舗装されていない道に、落ちている釘で絵を描いて遊んでいました。

 命をかけて漫画を描いています。原稿を郵送するとき、その日のうちに投函しています。

 「いつ死んでもこの作品は相手に届くぞ!」という気持ちで。私の漫画を好きになってくれたら嬉しいです。

 

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