【文化欄】連載:みんな居場所を求めてる(7)ドイツカフェ「みとき屋」 経営する井尻さんに聞く

農村に集う若者に希望 

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 まさか「郷土愛」という言葉が聞けるとは思わなかった。地元の人とは少し異なった愛情かもしれない。Iターン者たちが集まる年2回のクラフト市は、17回目を迎えた。地の人も少しずつ参加するようになったという。Iターン者たちで作る地域新聞など、地道な活動の実践に触れることができた。

 京都は南丹市日吉町胡麻にあるドイツカフェ「みとき屋」は、自家製天然酵母を使った風味の強いドイツパンやドイツのお菓子、自家製焼きソーセージ(ブラートヴルスト)が食べられるドイツカフェだ。

 お店は、大学で教鞭をとっていたシャウベッカーさんと声楽家の井尻さんご夫婦で営まれている。きっかけは、大学を定年退職して大量にあった本を自由にひとに読んで欲しいというシャウベッカーさんの思いと、もともと自宅でもホームコンサートなどを催していた井尻さんの活動が自然とくっついてかたちになったものである。ある意味、ブックカフェの原点とも言えるような空間である。本が壁に同化していてインテリアのようになっていて、本を引き抜くとまるで壁の模様が変わったようになる。

 パンの原材料の小麦などは自家栽培し、不作であったり足りないときは援助してくれるネットワークがある。

 井尻さんは「Iターンの人ばかりで関わりをつくってきたつもりはないけど、田舎のひとたちは変化を嫌う。クラフト市にしてもIターンの人ばかりの所には入ってきづらいようで、遠くから様子をうかがうような時間が長くあった。それがクラフト市も8年続けて、ようやく少しずつ地元の人が混ざってくるようになってきた」と話す。

 クラフト市は、ここで知り合ったひとたちがものづくりをしていて交流の場がないと聞いて、一度みとき屋の庭で交流の場をということで始まった。周辺には工芸品を中心とした作家さんが多く住むという。井尻さんはその理由を「都会にいるとどうしても時計の時間に縛られてしまう。農村では四季の流れなど、そのときの気分で時間の流れを感じられる。それが芸術的な感性を育む。それと周囲の目。お隣と離れていることが、多少変わったことをしていても距離があるので気にならない」と分析する。

 そういう意味では、都会ではたとえ自分の家であっても純粋に自分の空間とは言いがたく、密接な距離感が都会ならではの同調圧力を自然と生んでしまっているのだろう。また、「シャウベッカーさんの農業をやるひとは考え方がどっしりとしている」という言葉も印象的だった。大地にしゃがみ込んで作業をすることで、足腰に安定感が生まれる。それは農的生活の身体的な習慣によって習得される精神である。

農村の小さな営みが潰れたら日本は終わり

 また、井尻さんは地域新聞の発行にも携わっている。「船桑新聞」は、今や南丹市と京丹波町に分かれてしまった船井郡と、亀岡市となった桑田郡、京都市や南丹市に合併してなくなった北桑田郡からとった名前である。この辺は方言も似ており、同じような文化圏だ。市町村合併とは行政の都合による強引な分断であり、そのような流れに抗するという意味合いがある。「郷土愛ですね」と井尻さんは笑っていた。

 手書きの文字とイラストは力強く、訴えるものがある。もともと原発事故をきっかけにした新聞で、お店に集まるお客さんや周辺の友人たちと始めた。関心は低いが、原発30キロ圏内の場所で仮に事故が起こった時の防災の意識づけ、助けあえるつながりを作っていくのが目的だった。現在発行に関わっているのはIターンのひとたちだが、地元のひとからも読んでるよとの反応があるという。興味がなければそのままゴミ箱に捨てられる。読んでいるという反応は、ある意味支持を意味している。

 「枠を作らずに誰でも来れる場所で、たとえば音楽をとおしてほろっと政治の話ができるような場所がつくりたい。地方を解体し都市に財政を集中させる国家政策の流れがあるなか、農村に若者が集まりつつあることに希望を感じる。地域通貨、それぞれの生産活動の上に立った物々交換。地域経済を試みる動きもある。

 農村にある小さな営みがつぶれたら、日本は終わる。自身のコミュニティに満足するのではなく、危機感をもってもらうような発信を考えていきたい」と語ってくれた。 (編集部 矢板)
 
 
 
 

 
 

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