体力や気力の減退 相次ぐ大病

原発事故の避難と健康被害体験談②

根本樹さん(神奈川から奈良へ2012年)

 前号に引き続き、3月19日「関東からの避難者たち」集会から発言を紹介する。(編集部)

 私は2012年に神奈川県から奈良県へ母子避難しました。子どもは当時小学生と中学生で、事故後体調が急速に悪化したからです。
 息子は、2011年の夏に何度も大量に鼻血を出しました。私も、身体中に湿疹ができては治るのを繰り返したり、常に咳き込んで呼吸がしにくくなったり、なんとも言えず不気味な感じがしました。
 当時は友人たちと田畑を共同で耕作していたのですが、事故後初めての降雨を頭から浴びた友人が、直後に頭が熱くなるのを感じたり、猛烈な疲労感を訴えたりするのを聞きました。また、田んぼのリーダーをやっていた知人が急にショック症状を起こすほどのひどいアレルギーになり、稲にさわれなくなりました。今でもそれの因果関係はわかりません。なんでも被ばくに結びつけてはいけないと思っていました。しかし、立て続けに異変を感じたのは事実です。 やっぱりいよいよ駄目だなと悟ったのは、横浜でストロンチウムが観測されたという報道です。こんなさまざまな体内に入れてはならないものが入ってしまったら、もう近いうちに多くの人間が病気になったり、死んだりすると考えました。 それが2011年の10月で、息子と2人で高速バスで大阪まで向かい、神奈川からの移住者家族に助けてもらって住居を探しました。直前まで夫は移住に賛同していたのですが、もう手配も荷造りも済んだころ、やっぱり関西には行きたくないと言われたので、おのおの別に暮らしていこうと決めました。

戦争責任と原発事故責任

 夫の叔父が福島県在住なのですが、まったく健康だったのに、11年にお風呂で突然亡くなりました。また、去年夫の東京の叔父も、急性白血病で亡くなりました。東京の叔母も肺に穴が空き、難病になり、神奈川の私の父も、元気だったのに先月脳梗塞で倒れました。最近連絡の無かった神奈川の友人は、不整脈で倒れて入院していました。こんな話はたくさん聞きます。
 今年で移住してきて5年が経ちました。母子3人とも甲状腺にのう胞があるのですが、私と息子のものには結節も見つかっています。
 これまで避難者の方々とのつながりはとくに積極的には持たないできました。避難当初は、解放感で楽しい気分で過ごしていました。しかし、1年後に体調を崩し、肝炎になってふらつきがひどく、歩けなくなりました。家でずっと寝込み、仕事もできなくなり、うつ病になりました。避難移住は普通の引っ越しとは違うことなので、大変です。周りの理解も得にくく、孤立することが多いです。今は大阪市内の介護事業所で、以前と同じように介護職をしていますが、明らかに体力や気力の減退を感じます。
 私は神奈川では日本の戦争責任の問題に取り組んできましたが、日本が戦前から戦後まで加害責任から逃げてそれを封印し、歴史の改ざんを行なってきたことと、現在の原発事故の責任から逃げていることはつながっていると思います。国や東電の責任は問われず、徹底的に棄民政策を推し進め、オリンピックや軍事力の強化や戦争協力でさまざまなことが無残な状況になっていくでしょう。だから長いたたかいになると思いますが、これまで反原発に取り組んできた皆さんに敬意を表しつつ、つながっていきたいと思います。

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